液晶レンズの技術を応用し、自動でピントを合わせる「オートフォーカス眼鏡」の開発に挑む株式会社エルシオ。老眼や白内障、さらには小児弱視といった目の課題を抱える人々へ向け、日常的に使える安心・安全なウェアラブルデバイスの社会実装を目指している。
大学での電子材料研究から一転、ビジネスの世界へ飛び込んだ李蕣里代表取締役は、ディープテックスタートアップの経営者としてどのような壁を乗り越え、未来を描いているのか。
京都に拠点を置く理由、グーグルグラスとは異なる独自のアプローチ、そして2030年のIPOを見据えた壮大なビジョンとは──。
創業のきっかけは小児弱視の少女との出会い
── 代表は大学院の博士課程で電子材料の開発をされていたそうですね。
李 その通りです。具体的には、デバイスに使われる機能性分子の開発のような領域で、トランジスタを作ったり、メモリ用の素子を作ったりといった研究です。
現在私たちが手掛けている「液晶レンズ」自体も電子材料の一つであり、当時の研究から遠すぎず近すぎずといった畑におりました。
そうした研究活動を行っていたとき、大阪大学で「アントレプレナーシップを育てる講座」(産学共創機構)に参加する機会がありました。
そこで現在の液晶レンズの発明者であるメンバーと出会い、「この技術をどう事業化するか」を考えるチームを組んだのが最初の一歩です。
── 大学での研究から、どのように具体的なプロダクトへの構想が生まれたのでしょうか。
李 液晶レンズは「度が変わる機能」を持たせることができます。これを眼鏡にしたら面白いのではないかと考えました。
ちょうど当時の講座の指導をしてくださった先生が白内障の手術をしたばかりで、「白内障の手術をしたら目がすごく見えにくくなる。目のピント調整ができなくなるから、度が変わる眼鏡がすごく欲しいよね」とおっしゃっていて、そこからどのような製品ができるか検証を始めていきました。
ただ、実際の創業の直接的なきっかけになったのは、白内障の方のためのものを作ろうという理由だけではありません。私が病院で、小児弱視という病気になっている女の子と、そのお母さんに出会ったことです。
待合室でお母さんとお話しする中で、現在の病気の治療のつらさや、先生との問診がうまくいかないといった、さまざまなお悩みを聞きました。
そうした目に関する問題で真剣に苦しんでおられる方々が、オートフォーカスの眼鏡を使うことで、安心・安全な治療をしていただける可能性があるのではないか。しっかりと目の治療ができる世界を作れるのではないかと思い至り、それが創業の強い原動力になりました。
その後も、白内障の方や老眼の方なども含めていろいろなお話を聞いていく中で、実際に商品にしていく構想を固めてまいりました。
研究者から経営者へ。ドライな視点とチームのモチベーション
── もともと研究職のときから、経営者になりたいという思いもあったのでしょうか。
李 そうですね。経営者になるか、大学で教授職のような道に進むかという思いはありました。
根源的には、「自分で企画し、ものづくりをして、それをきちんと世の中に出して評価していただく」ということをやりたい気持ちが強かったのです。もともと創作が好きで、自分が作ったものを見た人を感動させたいと思っていたんです。
自分の開発した技術で創業できれば、あるいはアカデミアでポストを獲得できればと考え、いろいろなビジネスコンテストに出場したり、グロービス経営大学院に通ったりする中で、「やはりこれは企業としてしっかりとやるべきだ」と心を固め、現在は私が会社の代表を務めています。
── 研究者は「職人肌」で一点突破型の方が多いイメージがあります。経営者になると、物事を俯瞰して見るなど視点が変わる部分もあるかと思いますが、ご自身の中で変化や難しさを感じたことはありますか。
李 研究者から経営者に変わるうえでの変化は、ずいぶんあります。一番大きいのは、「どうやってビジネスにしていくのか」というお金の計算をしっかりしなければ成立しないという現実です。
そういうことを考え始めると、人間関係を含めてかなりドライに考えなければならない場面も出てきます。そこは、プライベートの自分や研究者としての自分との間に、大きな乖離を感じる部分ですね。
── 社員や研究メンバーの皆様のモチベーションを高め、同じほうを向いてもらうための苦労や、工夫していることはありますか。
李 細かい進捗や、成功も失敗も含めて、しっかりと社内で共有することを意識しています。「これは皆さんの成果でもありますよ」と実感してもらうことが、非常に大切だと考えています。
もちろん、皆さんを見ていてモチベーションが切れる瞬間を感じることもあります。そういうときには、外部の状況をしっかりと伝えるようにしています。
私は現在、外回りをして他社の代表の方とお会いしたり、最先端の製品を生み出している方々や研究開発をされている方々とお会いしたりする機会が多くあります。「こういう新しいものを作りたいというお考えの中で、弊社の技術を役立てていただける可能性がある」という情報を調べ、みんなに伝えるのです。
それを聞いて「それはすごく面白い」と思ってくれるケースもあれば、「それは難しすぎる」という反応が返ってくることもあります。いずれにしても、自分ごととしてしっかりと考えてもらうことを意識しています。
グーグルグラスとは違う。強みは「日常に溶け込むデザイン」
── 老眼や白内障といった領域にとどまらず、VRやAR、AIとのデータ連携といった分野にも着手されています。
李 ARやVRの分野は、開発当初から頭の中にありました。私たちが大学で研究していたころから、すでに最大手の企業様からお声掛けをいただく機会がありました。「実際にサンプルを買いたい」といったご依頼があり、提供してきたという経緯もあります。
── 過去にグーグルが開発したスマートグラスがありました。あれとはまったく違うのでしょうか。
李 はい、まったく違います。グーグルさんのスマートグラスは、外の世界を撮影するカメラがついており、盗撮の懸念やプライバシーの問題など、時代に対して少し早すぎて世の中の方々がついてこられなかった部分がありました。また、当時のものはデザイン性もあまり日常使いに適したものではなかったということもあります。
私たちが開発しているのは、あくまで「度が変わる機能を持ったレンズ」というコア技術です。これはスマートグラス全般に応用できるものです。私たちはまず、老眼の方などに向けた「度が変わる眼鏡」として製品開発を行っています。したがって、私たちが自らARグラスを作るというよりは、ARグラスに対して「度数調整の機能を提供できます」というのが、現在やっている立ち位置です。
── 競合となるライバル企業は存在しますか。また、その中でのエルシオの強みはどこにあるとお考えですか。
李 もちろん競合はおります。国内ですと、ViXion(ヴィクシオン)さんというオートフォーカスグラスを作っておられるメーカー、海外でも製品開発中のスタートアップがフィンランド、フランス、台湾などに存在するような状況です。私たちはそういった企業をベンチマークにしています。
弊社の強みは、「普通の眼鏡に近いデザイン」でオートフォーカスグラスを出していけるという点です。多くの方は、機能性だけでなくおしゃれな眼鏡を求めるケースが多いので、私たちはそこに強みを持っているとお伝えできます。重さやかけ心地といったウェアラブルとしての快適さを含めてですね。
私自身が社長として、外観のデザインにはかなりこだわって作りたいと思っています。海外メーカーがお作りになるところではなかなか手が届かない部分というのは、うちがしっかりと差別化の要素として持ちたい部分であると思っています。
なぜ京都なのか? ディープテックを支える支援と環境
── もともと大阪で研究されていましたが、事業の拠点を京都に選ばれた理由をお聞かせください。京都ならではのメリットがあったのでしょうか。
李 京都を選んだ理由としては、助成金や補助金などの支援が非常に手厚いことが挙げられます。京都産業21(中小企業の経営課題の解決をサポートする公的支援機関。公益財団法人)や京都市から賃料の補助金をいただいたり、ASTTETEMからベンチャー企業目利き委員会の認定をいただいたりなど、周囲の方々から多大なご支援をいただいており、それがまず本当に助かっています。
また、我々はディープテックのスタートアップですので、いろいろな評価設備や製造に関わる機械を持たなければなりません。そうしたオフィスやラボを選定していくとき、京都には「広いけれども、お安く借りられる」可能性のある場所が多かったというのがあります。
── 京都は経営者が注目するエリアであり、経営者同士の交流が盛んで外回りの文脈でも会いやすいといったメリットはありますか。
李 入居している施設が京都の桂(かつら)というところにありまして、交通の面を考えると少し行きにくい場所ではあるんですが、京都駅からバス一本なので、逆に遠方の方には来ていただきやすいですね。
本社を見たいというケースや、エンジニアに会いたいというケースでは京都本社に来ていただきますし、大阪の拠点でお会いすることもあります。
イベントなどに出向かせていただいたり、呼んでいただいたりという出会いの場はしっかりと確保しており、そこでの刺激は大切にしています。シードフェーズの終わりにきている弊社にとって、京都でのこうしたサポートがなければ存続すら危うい期間もありましたので、とても感謝しています。
2030年のIPOと「目のヘルスケア」の未来
── 最終的には上場(IPO)を目指しているとのことですが、直近から2030年ごろまでの目標や計画はどのようなものですか?
李 まずは来年、オートフォーカスグラスの第一弾の販売をスタートしたいと思っています。これは一般のお客様が手に取れる形を想定しています。
そして、2030年ごろにちょうどIPOを想定しているのですが、そのころまでには私たちの開発のメインである「アイセンシング」を搭載したオートフォーカスグラスをしっかりと作りたいと考えています。
── アイセンシングが搭載されると、どのような未来が実現するのでしょうか。
李 眼球運動を測って、その人の目の状態を定義し、データの解析をどんどん進めていきます。より良い目の使い方を眼鏡側がデータを取ってフィードバックし、その方の生活を導く、サポートしてくれるようなグラスに仕上げていこうと思っています。そのプロダクトとしての一旦の完成を2030年に置いています。
価格としては、来年の第一弾は10万円を切りたいと思っています。オートフォーカス版については、機能やターゲット層によって多少の変動はあると思いますが、一般向けにお出しするケースでは、15万円以上ということはあまり考えていません。
販売に関しては、一緒にやっていただけるパートナー企業の皆様の力をお借りしています。また、プロトタイプのバージョンアップを見ていただく中で、取り扱っていただける企業さんもさらに増やしていけると思っています。「早く完成させてほしい」「できたらぜひうちでも置いてみたい」というお声もいただいており、注目度の高さを感じています。
まずはクラウドファンディングなどを活用しながら、お客様の反応を見ていくことが重要なポイントになるかと思います。プロモーションに過度なお金をかけすぎず、いい商品を作るという部分にリソースを割きたいですね。
── そうしたデジタルデバイスが普及し、当たり前の選択肢になったとき、私たちの生活はどう変わるイメージを持てばよいでしょうか。
李 普及した時で言いますと、我々のレンズが入った眼鏡をかけているだけで、「目を守れる」「目が悪くならずに済む」あるいは「良くなるかもしれない」という状況を作っていけると思います。
眼鏡をかけていれば目の病気が治る。治らないものは早く病院に行って早期発見することで、致命的な目や脳のダメージ、あるいは生活習慣病などを防ぐことにつながるシステムを作れると思っています。生活の不便を解消するだけでなく、人のヘルスケアに深くつながっていける、そういうアイウェアのシステムを作りたいですね。
── 緑内障などは不治の病と言われていますから、早期発見できると助かる方は多いでしょうね。
李 そうですね。基本的に目というのは、神経や網膜などの損傷を受けてしまうと、現在の医療ではほぼ治らないのが現実です。IPS細胞による治療などの可能性はありますが、費用の問題や確立されていない技術であるという課題があります。
また、2050年には10人に1人が強度近視によって失明のリスクを負うという状況になっており、急増傾向にあります。そうした状況に対して、しっかりと無意識下で目のモニタリングを眼鏡がやってくれるというのは、頼れるパートナーとして非常に重要な選択肢になると思います。自分で自分の目を守る、信頼できるものが手元にあるという状態を実現したいと考えています。
退路を断つ覚悟。起業を志す若手研究者へのメッセージ
── 研究技術で社会課題を解決し、起業を目指す若手研究者もいると思いますが、もし何かアドバイスするとしたら、どんな言葉をかけたいですか。
李 アドバイスですか、難しいですね。やはり、「自分の実現したい思い」が強くなければ、こういったことを続けることはまず不可能です。
よく「本業はあるけれど、少しずつスタートアップのビジネスを始めて、軌道に乗ったらそちらをやる」という話を聞いたりするのですが、常に「これがダメだったらあっちに行こう」という保険を置き、自分の実現したいところとは違うところにリソースを割くような進め方は、あまり成果につながりにくいのではないかと個人的には思っています。
これをやると決めたら、早くそちらに注力し、人生をかける選択を早くしたほうがいい。「死なない限りは生きられる」ということを、最近よく考えています。取り返しはどこかで必ずつくはずです。周りを見渡しても、たとえ会社が失敗して自己破産した方でも、何らかの形で再起を図っています。
思い切って突き進んでいく覚悟がないと、社内外に次々と現れるややこしい案件たちを処理し続けることはまず難しいです(笑)。早く自分なりのリーダーシップを身につけて、やると決めたら爆走する姿を皆さんに見せることが、すごく大事なのではないかと思います。
スポーツグラスの可能性、人材採用を強化したい
── 日常生活やヘルスケアの領域での可能性についてうかがってきましたが、実は「スポーツ」の現場でも視覚は非常に重要な要素ですよね。接触の多い競技だと眼鏡が割れたり、コンタクトが外れたりします。視覚はアスリートのパフォーマンスに直結しますが、こうしたスポーツ領域への応用についてはいかがでしょうか。
李 そうですね。スポーツグラスを作ってほしいというお声は以前からいただいており、私自身も非常に関心を持っています。 もともと「子どもを救いたい」という思いから開発を始めているので、子どもたちにきちんと眼鏡をかけてもらい、近視の進行に歯止めをかけたり、小児弱視を楽しみながら治療できたりする状況を作りたいと考えています。
── 視力が悪いためにパフォーマンスが低下して悩んでいる選手や学生は本当に多いので、この技術が発展すれば、そうした悩みが解消される素晴らしい可能性を感じます。
李 ありがとうございます。ただ、具体的にスポーツの現場でどのようなニーズがあるのかを固めるためには、現場のお話をまだまだお聞きしなければならないと感じていました。 そうしたリアルなお困りごとがあるのであれば、ぜひ聞き取り、ニーズ調査をしたいですね。
── 最後に今後の展望についてあらためてお願いいたします。
李 弊社はこれから、人の採用を強化していきたいと考えています。弊社の事業に親和性があり、うちの会社が好きだと言ってくださるいろいろな領域の方々を仲間に迎えていきたいです。
今年は開発に注力しますが、来年くらいからは営業やデジタルマーケティングの強化も少しずつ始めていくフェーズに入ります。もしご興味のある方は、ぜひお声掛けいただきたいですね。
そして私たちのビジョンは、「いつでも誰でも、見たいものが見える世界を実現する」ことです。目で困っていらっしゃる方の最も身近なソリューションとして手に取っていただけるものを目指しています。
皆様には、ご自身の体をすごく大事にしていただきたいという思いがあります。自分の体の状態をしっかりと「定量・定性分析」できるツールが手元にある状態を早く作り、社会の一助になっていきたい。自分の体を知ったうえで、今日どんな生活をしようかといった選択肢を広く持ち、いい人生を送っていただきたい。そんな思いを持った製品を開発しているということが伝わればうれしいです。