日本の歴史と伝統が息づく京都を拠点に、アニメやゲーム関連のグッズOEM(受託製造)から、地域の観光資源を最大限に活かした体験型イベント事業までを幅広く手掛ける株式会社Mu(ムゥ)。
前身となる関連会社での実績を含め10年以上にわたりグッズ製造に携わってきた同社は、自社工場を持たない「ファブレス経営」を貫き、特定の自社IP(知的財産)に依存することなく「黒子」としてスタートした特異な歴史を持つ。
現在では、国内外で広がりを見せる「推し活」市場において、ニデック京都タワーや京都国際マンガミュージアム、さらには神社仏閣などを巻き込んだイベントを次々とプロデュースし、独自のポジションを確立しつつある。激動のエンターテインメント業界において、創業2年目の若いBtoB企業はどのように強みを発揮し、成長のロードマップを描いているのか。
現在42歳を迎えた寺尾社長に、自らの生い立ちから導き出された「ありがとう」を重んじる独自のコミュニケーション哲学や、リクルート創業者の言葉を胸に刻む経営理念について聞いた。
自社工場もIPも持たない。黒子に徹する「ファブレスOEM」の強みと空間プロデュース
── OEM事業とイベント事業という2つの大きな柱でビジネスを展開されていますが、まずは事業の成り立ちと、現在の株式会社Muの立ち位置についてお聞かせください。
寺尾 もともとの生い立ちを含め、株式会社Muという会社の背景を少し理解していただくことが大事かなと思います。
現在、当社にはグッズのOEM(受託製造)事業と、イベント事業という大きな柱があります。また、前身となる会社であり、現在も私が役員を務めている株式会社ミングアップという会社が自社ショップを経営しております。
このミングアップ(Ming up)の「M」と「U」を取って、「Mu(ムゥ)」という社名になりました。「ムー大陸」や『月刊ムー』、あるいは無限の「無」といった意味合いも込めています。
株式会社Mu自体は、会社を立ち上げてまだ2年目の若い会社です。現状、組織としてはOEM事業に私を含めて2人、イベント事業に2人、さらに広報やデザイン担当がそれぞれ1人ずつという少数精鋭の体制で動いています。
当社の特徴の一つは、自社工場を持っていないことです。メーカーと同じ立ち位置ではあるのですが、製造する機械を持たず、すべてアウトソーシングで外注先にお願いしてモノづくりをする「ファブレス企業」です。
そしてもう一つの特徴は、自社で強烈なキャラクターやIP(知的財産)の版権を取得してビジネスを展開するわけではないという点です。もし私たちがライセンスを取得して自社で何かをやろうとすると、もともとグッズを作っているクライアント様との間に支障をきたしてしまいます。あくまで私たちは「黒子」に徹し、お客様のコンテンツを活かす立場をとっています。
── 「グッズ製造」というモノづくりの根幹から、「京都という街を舞台にしたイベントプロデュース」までを手掛けるようになった経緯はどのようなものだったのでしょうか。
寺尾 はい。アニメやゲームの市場が拡大していく中で、私たちが着目したのは「京都という圧倒的なロケーションの価値」です。
現在、私たちはニデック京都タワーさんや、京都国際マンガミュージアムさん、さらには歴史ある神社仏閣などと連携したイベントをプロデュースしています。
しかし、京都という街は伝統を重んじるがゆえに、東京のIPホルダー企業がいきなり「うちのアニメでイベントをやらせてほしい」と持ちかけても、なかなか話が進められないことが多いのです。
そこで、私たちが間に立ち、京都というロケーションをコーディネートする。私たちが黒子として企画からグッズ製造、運営までを担うことで、由緒ある京都の施設様にも安心していただき、IPホルダー様にも最高の舞台を提供できる。これが私たちの最大の強みになっています。
「歴女」ブームから10年。痛バッグから「体験の共有」へ変わる推し活
── 近年、「推し活」という言葉がすっかり定着しましたが、10年以上にわたってアニメやゲームのグッズに携わってこられた中で、トレンドの変化をどのようにとらえていますか。
寺尾 オタク文化や推し活の歴史をたどると、大きな転換点がいくつかありました。私がグッズを作り始めた今から11年〜13年ほど前に遡りますが、「歴女」という言葉が社会的なブームになりました。
戦国時代を背景にしたゲームが大ヒットし、伊達政宗や織田信長といった歴史上の武将たちを美男子(イケメン)に描き換えたキャラクターが生まれました。私自身も歴史が大好きで京都の大学に入ったのでよくわかるのですが、歴史の再解釈に多くの女性ファンが強烈に共感したのです。あの時期から、グッズ市場の熱量が一段と上がり、新しいファン層が拡大していったと感じています。
そして現在ですが、「推し活」のスタイルはさらに変化しています。
かつての推し活というと、たとえばカバンの片面がクリアポケットになっていて、そこに同じ缶バッジを大量に並べて愛を主張する「痛バッグ」という文化が主流でした。もちろん今でもその文化は根強く残っていますが、最近のトレンドとしては、もっと日常的に「体験を共有する」方向へとシフトしています。
── 「体験の共有」とは、具体的にどのような行動を指すのでしょうか。
寺尾 代表的なものが「アクリルスタンド」(アクスタ)や「ぬいぐるみ」、キャラクターの「フォトカード」(フォトカ)です。ファンの方々は、これらをカバンに入れて、推しと一緒にお出かけをするんですね。
旅行先の綺麗な景色や、おしゃれなカフェの空間を背景にして、推しのアクスタやぬいぐるみ、自分が一緒に撮れるような枠が空いたカードが画角に入るように写真を撮影する。つまり、「推しと一緒にここへ行ったよ」「推しと一緒にこの時間を過ごしたよ」という記録を残し、体験を共有すること自体が最大の価値になっているのです。
だからこそ、私たちが手掛ける京都でのイベント事業が大きな意味を持ちます。ファンの方々が「推しと一緒に京都の歴史的空間を旅する」ための最高の舞台を用意し、そこでしか手に入らないグッズを提供する。モノと体験が完全にリンクしているのが、今の推し活の最前線です。
IPビジネスにおける「黒子の矜持」
── OEMとイベントという両輪を回していく上で、中長期的な経営の哲学や方針はどのように描かれていますか。
寺尾 私の経営の根底には、リクルートの創業者・江副浩正氏が残した「右手にそろばん、左手にロマン」という私が大事にしている言葉があります。
会社として事業を存続させるためには、当然ながら「そろばん」、つまり利益を出してビジネスとして成立させなければなりません。しかし、それだけでは人を感動させることはできません。「ロマン」、つまりファンを喜ばせたい、素晴らしい体験を創り出したいという夢や情熱が絶対に必要です。
── エンターテインメント領域において、その「そろばん」と「ロマン」のバランスをどのように取っていますか。
寺尾 最も気をつけているのは、「自分たちの立ち位置を見誤らないこと」です。
先ほど申し上げた通り、私たちは自社でIPを持っていません。自分たちで版権を取得して前面に出ようとすると、必ずどこかでIPホルダー様の事業と競合してしまいます。
私たちのロマンは、あくまでお客様のIPを最高に輝かせることです。だからこそ、私たちは「徹底して黒子に徹する」という矜持を持っています。推し活の裏側を支えるOEM事業(そろばん)を基盤にしながら、表舞台のイベントではIPの魅力を120%引き出す(ロマン)。このバランスを保つことが、当社の経営の要です。
札幌から大阪へ。多様な文化との出会いと家族との絆が育んだ「志の力」
── 社長のこれまでのキャリアや人生観についてお聞かせください。起業に至るまで、どのような道を歩んでこられたのでしょうか。
寺尾 私の経営者としての原点、そして人間としての土台は、幼少期の「引っ越しによる地域文化の違い」の学びと、家族と「共に過ごした濃密な時間」の経験にあると思っています。
私はもともと北海道の札幌で生まれ育ちました。10歳の時に父親の転勤で、遠く離れた大阪へと引っ越すことになったのですが、この引っ越しを通して、関西特有の言葉をはじめとする文化の大きな違いを肌で学ぶことができました。
異なる環境や価値観に触れ、場合によっては決してポジティブでは無い状況も経験しながら周囲とのコミュニケーションを深める中で、どんな環境にも適応して前へ進む柔軟性が身についたと感じています。
そして、私の人生観を決定づけたもう一つの出来事が、家族との別れです。中学時代に父親を、後に一家を引っ張ってくれていた長男である兄を見送ることになりました。
しかし、若くして別れを経験したからこそ、彼らと共に過ごした濃密な時間が私の心に深く刻まれています。人生の時間は限られているということ、だからこそ今ある日常や人との縁がいかに尊いものであるかを学ぶことができたのです。
── そうした経験が、現在の生き方や仕事に対する姿勢にどのように影響しているのでしょうか。
寺尾 「後悔のないように、自分の人生をしっかりと生き切り、成し遂げたい」という強い「志の力」が生まれました。
昔から歴史が大好きだった私は、自分の興味に素直に従い、京都の大学へ進学して歴史を学びました。また、家族の尊さを誰よりも深く理解していたため、24歳という早い段階で妻と結婚し、自分の家庭を持ちました。
環境の変化の中で多様な価値観を学び、家族との濃密な時間を通じて日常の尊さを知った経験があるからこそ、ビジネス上の壁にぶつかっても、動じることなく前を向いて進んでいける確固たる「志の力」となっているのだと思います。40歳で経営者になる決断ができたのも、そうした背景があったからです。
関西弁の「ありがとう」に潜む罠。社内で徹底する感謝のコミュニケーション
──会社を立ち上げられた今、社員の皆さんや組織に対してはどのようなメッセージを発信されているのでしょうか。
寺尾 私が会社経営において、日常的に最も強く、そして繰り返し社内で徹底させているのは「『ありがとう』という言葉を正しく使おう」ということです。
私どもはBtoBの企業であり、多くのパートナー企業様に支えられて成り立つファブレスメーカーです。だからこそ、関わるすべての人に対する感謝の念が不可欠です。
たとえば、ビルでエレベーターに乗った時、誰かが「何階ですか?」と聞いてボタンを押してくれたとします。その時、多くの日本人はとっさに「すみません」と言ってしまいますよね。
私は、そこは「すみません」ではなく、「ありがとうございます」と言うべきだと伝えています。謝罪の言葉ではなく、感謝の言葉を日常的に口にする組織にしたいのです。
── なるほど。感謝の言葉を意識的に使うということですね。
寺尾 ただ、それと同時に「言い方」にも細心の注意を払うようにしています。
関西で育った人間だからこそわかるのですが、関西人が使う「ありがとう」という言葉は、時に上から目線に聞こえてしまう罠があるんです。語尾を伸ばして「ありがとう〜」と軽いノリで言ってしまうと、相手に感謝どころか不快感を与えてしまうことすらあります。
言葉の壁に苦労した経験があるからこそ、言葉の持つニュアンスの恐ろしさを知っています。
だからこそ、ただ「ありがとう」と言うだけでなく、本当に心からの敬意を込めて「ありがとうございます」と正しく感謝を伝える。そのコミュニケーションの積み重ねが、お客様との距離を縮め、最終的に良いモノづくり、良いイベント作りに直結していくと信じています。
インバウンドに頼らず日本の魅力を再発信。「売上目標の達成」と地方創生への道
── 京都という地域でビジネスを展開されていることについて、どのような意義を感じていらっしゃいますか。
寺尾 京都ハンナリーズさんや、京都サンガF.C.さん、あとはきっかけをいただいて南座さんやミス京都の方などにも協賛させていただいておりますが、私たちが目指しているのは、こうした地域コミュニティとのつながりを大切にしながら活動の場を広げていくことです。
京都の様々な団体からもご協力をいただきながら、地域と一体となったコミュニティを形成していくことが非常に重要だと考えています。
── 今後の展望として、海外展開も視野に入れているのでしょうか?
寺尾 実は、海外展開に関してはそこまで特には取り組んでいないです。台湾や韓国、中国といった身近なアジア圏への海外進出という形も現在は考えていません。
むしろ、インバウンド(訪日外国人)のお客様に特化しすぎず、実際に日本の人たちに向けて、改めて京都の魅力を発信できるようなハブとしての役割を意識しています。
もちろん、インバウンドの要望をまったく無視するわけではなく、たとえば9月に開催される「京都国際マンガ・アニメフェア(京まふ)」のようなイベントでは、Muでグッズ制作の提案をさせていただいており、結果的に海外の方にも喜んでいただいています。しかし、軸足はあくまで日本国内に置いています。
── 国内においてどのようなビジョンを描かれていますか。
寺尾 現在私は42歳ですが、この40代の期間は会社としての足元を固める時期としてとらえています。もちろん、50代になった時のビジョンもありますが、先ずは盤石な基礎を築く現在に集中しています。
事業展開としては、「地方創生」という言葉に一つ重きを置いています。今はイベント事業の中で「京都」という場所を強く推していますが、今後は京都にとどまらず、広島であったり、長崎であったり、私の地元である札幌、そして沖縄など、日本各地の魅力的な都市を視野に入れています。
私たちが黒子となり、その土地の歴史的ロケーションとアニメなどのIPをつなぎ合わせることで、全国に新しい人の流れと体験を創り出していく。それが私たちの描く未来です。
次世代リーダーへ。逆風の中で「適応し、行動する」力
── 平坦とは言えない幼少期を経て起業された社長の経験談は、起業を夢見ながらも現在苦労している若者に勇気を与えるように思います。そうした人たちに何か言葉をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?
寺尾 私の人生そのものがそうであったように、皆さんが生きていく中で、突然環境が変わったり、壁にぶつかったりすることは必ずあります。
そんな時、まずは「置かれた環境に適応する力」を大切にしてください。言葉の壁や文化の違いを恐れず、自分から環境に飛び込んでいく勇気を持ってほしいと思います。
私が社長という立場になって強く感じるのは、自ら主体的に動き、周囲と正しくコミュニケーションを取れる人材が求められるということです。
「右手にそろばん、左手にロマン」を持ち、泥臭くビジネスに向き合いながらも、日常の小さな場面で「すみません」ではなく「ありがとうございます」と素直に伝えられる人であってほしい。
そうした小さな感謝の積み重ねが、最終的に大きな事業を動かす原動力になります。失敗を恐れず、今の環境で自分にできる最高の挑戦を続けてください。