龍村美術織物

バブル期の10分の1にまで縮小したとされる和装業界において、創業130年を超える西陣織の名門でありながら、アートパネルや航空機の座席シート、さらには海外のラグジュアリー市場へと進出し、驚異的な躍進を遂げているのが、1894年創業の株式会社龍村美術織物だ。

伝統をただ守るだけでなく、現代のビジネスオーナーや世界のラグジュアリー空間を魅了するプロダクトへと昇華させる背景には、異業種から転身した五代 龍村平藏(龍村 育)氏の、革新的な「和の解放」というビジョンと、職人集団のプライドを支える卓越したリーダーシップがあった。

伝統産業の枠組みを打ち破り、新たな市場を切り拓くための経営戦略と組織論について、その深層に迫った。

龍村 育(たつむら・いく)──株式会社龍村美術織物 代表取締役社長(五代 龍村平藏)
1973年、兵庫県生まれ。1997年、日本大学卒業。東京スポーツ新聞社での勤務を経て、2007年、株式会社龍村美術織物入社。2012年取締役、2016年常務取締役を経て、2019年に代表取締役社長に就任。2024年、五代 龍村平藏を襲名。

伝統を現代に解放する「和の躍動、和の解放」

── もともとマスコミ業界にいらっしゃったそうですが、家業に戻り、五代目を襲名された経緯を教えてください。

龍村 私の父は三男でしたので、若いころは会社を継ぐということはまったく考えていませんでした。もともとマスコミ志望だったこともあり、東京の大学へ進学し、東京スポーツ新聞社に入社し、広告の営業として約10年間、たいへん濃密な時間を過ごしました。

そのまま東京でキャリアを積むものと思っていましたが、父が社長に就任するというタイミングで、「会社を手伝ってみないか」という話が持ち上がったのです。2007年のことでした。

130年続く歴史の重みや、伝統を次の世代へつなぐことの意義を考えたとき、自分にできることがあるのではないかと考え、入社を決意いたしました。

── 異業種からの転身ということで、入社当初はかなりの苦労があったのではないですか?

龍村 当初は技術部に配属され、織物の設計をする仕事に就いたのですが、まったく畑違いの仕事で、最初は専門用語も分からず、とても苦労しましたね。

そこで私がまず行ったのは、先輩の職人たちが織り上げた織物を一度ほどいてみることでした。織物を丁寧にほどきながら、織り方や糸の太さ、組織の組み立て方をひとつずつ自分の目で確認し、体で学んでいきました。

このときに職人たちのすごさや、織物というものの奥深さを徹底的にたたき込まれたことが、今の経営に大きく活きています。

── 龍村美術織物の経営方針であり、初代平藏氏が唱えた「最高之品質」という言葉には、一般的な品質を超えた深い意味があるそうですね。

龍村 ええ。私たちが使う「品質」という言葉は、単に工業製品のように、ものの外観やサイズが一定の尺度基準を満たしているかどうか、ということだけを指すのではありません。初代が揮毫(きごう)した「最高之品質」の「品」とは「美しさ」であり、「質」とは「豊かさ」を意味しています。

初代
創業者 初代・龍村平藏(写真提供=龍村美術織物)

すなわち、人間の理想や憧れ、内面の満足度をも内包する言葉なのです。私たちは自社の美術織物を通して、お客様に最高の美しさと豊かさを感じていただき、生活をより豊かなものにしていただく一助となることを使命としています。

この伝統的な精神を現代のライフスタイルにどのように寄り添わせるかを考えたとき、私が経営方針として掲げたのが「和の躍動、和の解放」というスローガンでした。

── 当時、和装業界はどのような状況だったのでしょうか?

龍村 明治から大正にかけての時代、日本人の服装は和装から洋装へと急速に変化していきました。呉服の世界が徐々に縮小していく危機感のなかで、初代平藏は、単なる衣服としての織物ではなく、それ自体が芸術品としての価値を持つ「美術織物」という新しい分野を確立しようとしたのです。

当時の業界では、いかに安く大量に作るかという効率化の波もありましたが、初代はそれに真っ向から反対し、どこまでも職人の技の極限を追求しました。「最高之品質」という理念は、時代がどれほど移り変わろうとも、私たちが守るべき絶対的な北極星として、今も全社員の胸に刻まれています。

── 龍村社長が指針にしている言葉や哲学はありますか?

龍村 私が大切にしている言葉の一つに、ココ・シャネルが遺した「流行は廃りがあるが、スタイルは変わらない」というものがあります。

現代のビジネス社会やものづくりの現場では、目まぐるしく変わるトレンドを追いかけることが求められがちです。

しかし、私たちの本質はそこにはありません。時代にあわせてデザインや技法を変化させる「躍動」は必要ですが、私たちが130年以上にわたって培ってきた独自の「スタイル」、すなわち手織りの美術織物を作り続けるという一貫した姿勢は、決して変えてはならない老舗の強みなのです。

この確固たるスタイルがあるからこそ、流行に左右されない圧倒的な価値をお客様に提供し続けることができるのだと確信しています。

和装の枠を超え、アートパネルから航空機シートまで広がる可能性

── 御社は帯だけでなく、インテリアや舞台の緞帳、航空機の座席シートまで手がけられています。これほど多様な分野へ進出できたのはなぜでしょうか?

龍村 私たちの最大の強みは、デザイン力と技術力の融合、および「社内一貫体制」にあります。多くの西陣織のメーカーは分業制をとっていますが、自社でコントロールできるからこそ、他社には真似できない独自の挑戦が可能なのです。

JALのシート
JALビジネスクラスのシートにも採用された(写真提供=龍村美術織物)

たとえば航空機の座席シートなどは、航空機向けの厳しい安全基準や難燃性をクリアしなければなりません。公共交通機関に採用されるためには、単に美しいだけでなく、耐久性や安全性が100パーセント担保されている必要があります。

長年培ってきた高度な織物技術の蓄積があったからこそ、そうした高度な要求にも応えることができるのです。

劇場の緞帳や祇園祭の山鉾(やまほこ)の装飾といった伝統的な懸装品の企画・デザイン・製造から、現代の商業施設の空間演出まで対応できる柔軟性も、この自社一貫体制があるからこそ実現できています。

春秋
歌舞伎座の緞帳(上から)「春秋」「富貴花競苑図」(写真提供=龍村美術織物)
山鉾
祇園祭の山鉾(写真提供=龍村美術織物))

伝統を守ることの本質は、過去の遺産をそのまま維持することではなく、その技術を使って現代、あるいは未来の人々をいかに感動させられるか、という点にあると信じています。

── 「アートパネル」や日本画家・福井江太郎氏とのコラボレーションなどについても教えてください。

龍村 現代の住空間には和室や床の間が少なくなっているため、新たな分野として挑戦したのが「アートパネル」です。

たとえば『Weaving Waves Ⅰ』という作品では、伝統的な織り技法を再解釈し、職人によるグラデーションと表具師の金銀箔をあわせることで、海岸線をモダンに表現しています。

Weaving Waves
アートパネル「Weaving Waves Ⅰ」(写真提供=龍村美術織物)

また、日本画家の福井江太郎さんとのコラボレーションでは、原画を織物の技によって再現し、帯の新たな価値を発信しています。これらは職人たちの卓越した技法が詰め込まれた「時間と技術の結晶」であり、唯一無二のストーリーを持つ美術品です。

職人のプライドを支え、自発性を引き出す「対話型」経営

── 伝統産業の技術を維持しながら、新しい挑戦を続けるうえで、職人の方々とのコミュニケーションやリーダーシップにおいて意識されていることは何でしょうか?

龍村 最も大切にしているのは、効率性だけを追い求めないということです。現代の一般的なビジネスにおいては、いかにコストを下げて大量生産するか、いかにスピードを上げるかという効率主義が重視されがちです。

しかし、私たちの美術織物の世界でそれをやってしまうと、もともと持っていた「最高之品質」が根底から崩れてしまいます。職人たちが持っている高いプライドやこだわり、手間暇をかけることを厭わない姿勢を経営者が誰よりもリスペクトし、彼らがその力を最大限に発揮できる環境を整えることこそが私の役割です。そのためには、トップダウンで命令するのではなく、職人一人ひとりと徹底的に対話をする「対話型」のリーダーシップが必要です。

── 変化の激しい現代において、組織を導くうえで指針にしている考え方はありますか?

龍村 私はブルース・リーの熱狂的なファンなのですが、彼の「Be water, my friend(水になりなさい、友よ)」という言葉を常に意識しています。

水は器にあわせて形を柔軟に変え、時には岩をも通す強さを持っていますが、水としての本質は変わりません。経営もまったく同じです。伝統を守りながらも、市場の環境変化にともない柔軟に形を変えて適応していく「しなやかさ」が必要です。

職人
帯づくりに励む職人(写真提供=龍村美術織物)

職人たちに対しても、彼らの卓越した技をリスペクトしたうえで、「その最高の技術を使って、水のように新しい市場へ形を変えて挑んでみないか」と対話を重ねることで、自発的な挑戦を促しています。

── 職人の方々との具体的なコミュニケーションにおいて、工夫されている仕組みはありますか?

龍村 弊社の織り職人は、最高齢が93歳、最若手が30歳と、きわめて幅広い年齢層で構成されています。育ってきた時代も価値観も異なる彼らと信頼関係を築くために、私は「コンタクトの回数を増やす」ことを徹底しています。

職人と
最高齢・93歳の職人と龍村社長(写真提供=龍村美術織物)

1回の面談を長くするのではない、毎日のように現場に顔を出し、短い時間でもいいから言葉を交わす。他愛のない雑談も含めてコンタクトの頻度を圧倒的に高めることで、職人たちが困ったときにすぐ相談できる環境を作っています。

経営者が常に現場に寄り添い、彼らの仕事に関心を持っている姿勢をあわせて示すことが、職人たちのプライドと自発性を支える強固な土台となっています。

── 職人のプライドを刺激し、自発的に新しい挑戦に向かわせるための秘訣はありますか?

龍村 職人に対して「新しいことをやれ」と頭ごなしに言うだけでは、彼らは動きません。なぜなら、彼らはこれまでに培ってきた技術に絶対の自信を持っているからです。

ですから私は、彼らの技術がどれほど素晴らしいものであるかを言葉にして伝え続けたうえで、「その最高の技術を使って、まだ誰も見たことがない新しい世界を一緒に見に行かないか」という提案をするようにしています。

私は職人たちに対して「守るな、挑め」という姿勢を背中で見せたいと思っています。今回の髙島屋様での襲名記念展の巡回などもそうですが、自分たちが魂を込めて作った作品が、東京、横浜、大阪、京都といった大都市の一等地に並び、多くのお客様に感動を与えている様子を直接見てもらう。その光景こそが、職人たちにとって何よりの報酬であり、次の挑戦への原動力になるのです。

130年の歴史をつむぎ、海外市場へと踏み出す未来像

── ヨーロッパへの展開という点で、世界最大級のデザインイベントであるミラノデザインウィーク(ミラノサローネ)に初出展されたそうですね。具体的な取り組みについて詳しくお聞かせください。

龍村 はい。髙島屋様と共同で、ミラノデザインウィーク2026の「フォーリサローネ」に出展いたしました。

これは、髙島屋様と弊社がともに手がける美術織物の最高峰ブランド「龍村錦帯」が2027年に100周年を迎えるのを機に始動した、初のインテリアコレクション「CASA TATSUMURA」(カーサ タツムラ)の発表の場でもありました。「和の躍動、和の解放」というコンセプトのもと、織物の領域を呉服や帯だけに限定せず、現代の生活空間、さらにグローバルなインテリア市場に応用・転換していくための大きな挑戦です。

髙島屋
フォーリサローネで高島屋と龍村美術織物が初のインテリアコレクション「CASA TATSUMURA(カーサタツムラ)」を発表した(画像提供=龍村美術織物)

一過性の出展に終わらせるのではなく、2026年から2028年までの3年間にわたり、継続して出展することを予定しています。

総合プロデュースおよびすべての家具のデザインにはクリエイティブディレクターの川村明子さんを起用し、家具製作パートナーには優れた木工技術を持つカリモク家具株式会社様、照明器具制作には高度な技術を持つ株式会社ワイ・エス・エム様を迎え、協業いたしました。初のコレクションでは、エントランスホール、リビングルーム、ダイニングルーム、ベッドルームを彩る全6種類のラインアップを展開しています。

具体的には、日本の伝統的なフロアライトであり、和紙を通して柔らかい光を演出する「行燈(あんどん)」や、移動可能で部屋のサイズにあわせて空間を自由に分割できる、機能的な家具である「屏風」(びょうぶ)に着目しました。

屏風は「機能性と可動式のアート」とも言えますが、ここに弊社の美術織物である「帯」を組みあわせることで、「移動可能なアート」として現代の洋空間やモダンな建築にも馴染む形で存在させたのです。日本の美における禅的なミニマルな静寂美と、黄金の煌びやかさという対極を現代の方法で称え、美術織物を新たな形で調和させています。

── ミラノでの挑戦とあわせて、世界的なラグジュアリーブランドである「ディオール(DIOR)」との取り組みについても詳しくお聞かせください。

龍村 ディオール様と弊社の関係は、今から70年以上前の1953年にまで遡ります。当時、創設者であるクリスチャン・ディオール氏が京都でショーを開催した際、弊社の織物を採用してドレス地などを制作したのが始まりです。フランスのオートクチュール文化とつながったことは、ブランドの歴史においても象徴的な出来事でした。

── ミラノは髙島屋との共同出展だそうですが、非常に深い結びつきがあるそうですね。

龍村 髙島屋様とは、明治30(1897)年ころ、弊社が創業して間もないころからの深い関わりがあります。

当時、創業間もなかった龍村を髙島屋様が全面的に支援してくださり、初代平藏の叔父が経営していた「丸亀屋」を丸ごと譲り受ける形で髙島屋様が大阪へ進出されたという歴史があります。この大阪出店は髙島屋様が飛躍するひとつの契機となり、平藏にとっても織物業を大きく拡大する好機となりました。

正式には昭和2(1927)年に、髙島屋様で「第一回錦帯作品展」を開催していただき、戦争による中断もありましたが、戦後の昭和30(1955)年には、「龍村平藏作錦繍美術展」が復活し、翌年には大阪店に常設の龍村コーナー開設にいたりました。

このように、一過性の取引関係ではなく、お互いのビジネスの成長を支え合ってきた歴史があるからこそ、今日の「龍村錦帯」ブランドがあります。

── 最後に、後継者不足という課題に対して、京都の老舗トップとしてどのように立ち向かおうとされているか、あらためてうかがいます。

龍村 後継者問題や原材料の確保といったサプライチェーンの課題は、非常に深刻であり、一社だけで解決できるものではありません。

しかし、だからこそ私たち龍村美術織物が率先して、新しいビジネスモデルを示し続ける必要があると考えています。ストーリー性の高いものづくりを続け、商品に適正な価格をつけてしっかりと利益を上げること。その利益を職人たちの待遇改善や、次の世代の育成へ循環させていくこと。

これが、老舗が果たすべき最も重要な責任です。若い人たちが「この世界でプロフェッショナルとして生きていきたい」「かっこいい仕事をしたい」と思えるような産業にしていかなければ、未来はありません。1894年の創業以来培われてきた叡智と精神を胸に、これからも時代の変化を恐れず、柔軟に寄り添いながら、新しい境地を切り拓いてまいります。