松井酒造

1726(享保11)年に創業、2026年に300年の節目を迎える、京都の伝統ある酒蔵・松井酒造株式会社。

近隣の工事にともなう水源喪失という大きな逆境によって、一度は酒造りの歴史は途絶えたが、2009年に最新のテクノロジーを導入した「ビルの1階の酒蔵」として見事に復活。その再興した酒蔵を父から引き継ぎ、規模を広げようとしているのが、第十五代蔵元の松井治右衛門氏だ。

「伝統とは後世にその火を継ぐことであって、その灰を崇拝することではない」という信念を掲げ、データ管理による精密な醸造や、アート・アニメなどとのコラボレーション、さらには太陽光発電や資源循環を取り入れたサステナブルな経営を実践している。

京都の地で伝統産業のアップデートに挑む松井氏に、歴史の復活劇から独自のマーケティング戦略、さらに先の未来を見据えた新たな蒸留事業への展望までを詳しく聞いた。

松井治右衛門(まつい・じえもん)──松井酒造株式会社 代表取締役社長 十五代当主
1978年、京都府生まれ。本名・松井成樹。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院修了。2006年に実家である松井酒造に入社し、伏見での酒造り修業を経て杜氏を兼任。2018年1月、代表取締役社長に就任し、15代松井治右衛門を襲名。

1726年創業の松井酒造が歩んだ300年の歴史

── 松井酒造の歴史はたいへん長いですが、創業からの歩みについてうかがえますか。

松井 はい、私たちの創業は1726(享保11)年ですので、今年2026年がちょうど創業から300年にあたります。

いつも創業のときからのざっとした歴史をお話しするのですが、もともとは兵庫県の北部に香住(かすみ)という町があり、そこでお酒造りをしていました。

初代・松井治右衛門が、現地が水飢饉に陥ったときに井戸を掘り、そのお水で村が救われたというお話が残っています。そのお水を使ってお酒造りを始めたというのが起源です。

── 兵庫県から始まったのですね。そこからどのように京都へつながるのでしょうか。

松井 当時は、北前船(きたまえぶね)で北海道と交易をしていました。日本酒を北海道まで運び、帰りは海産物を積んで帰ってくるというような交易をしていたわけです。

江戸の後期に2隻の船で交易をしていたところ、嵐に遭って沈没し、そのタイミングで、京都に移転をしたようです。江戸後期から京都でお酒を造っているということです。

最初は河原町竹屋町、いまの河原町三条の近くでお酒造りをしていました。市電が通るということで道路の拡幅工事があり、大正時代に左京区吉田に移転しました。

さらに曾祖父の代に、良いお水を求めてこの左京区吉田の今の場所に移転しています。

戦時中もなんとか生きながらえていたのですが、いまから50年ほど前、1970年代のころに、近隣で地下鉄の工事があり、そのタイミングでお水が出なくなり、一旦そこで私たちの蔵の歴史というのは途絶えています。

── そこから2009年の復活まではどのような経緯があったのでしょうか。

松井 その後は、複数社が合同会社を作ってそれぞれの責任でお酒を造るということをしていたようです。

私の父が2009年に、ここでのお酒造りを復活させるということで、新しく井戸を掘り、酒蔵として復活したわけです。

なぜビルの1階で近代的な酒造りに挑むのか?

── 京都という土地やお水について、お酒造りをするうえでの魅力をどのようにとらえていますか。

松井 京都という町は、ものすごくお水に恵まれていて、いまの私たちがいる場所周辺ですと、10メートル掘るとお水が出てくるほどです。

特に京都御所も近いですし、神社やお寺も近くにたくさんあるのですが、こういった施設は、きれいなお水が出るところに建てられるものなんだろうと想像もしています。

京都は昔からお水が欠かせない産業が発達していて、私たちのような造り酒屋だけでなく、お豆腐屋さん、あるいは染物屋さんとか、きれいなお水をたくさん使う仕事が発展しているんです。

── 2009年に先代がお酒造りを復活された当時、松井社長はどのような状況だったのでしょうか。

松井 実際に蔵の復活に向けて動き出したのは2006年です。当時、私は東京の大学院に進んでいて、法学を学んでいたのですが、父から蔵を復活させるから戻ってこないかと連絡がきました。

── 大学院で法学を学んでいたところから、家業の酒蔵への方向転換は大きな決断だったのではないですか。

松井 そうですね。ただ後継ぎ候補の私がいたからこそ、復活に向けて動けたと言えるかもしれません。後継ぎがいないと、設備投資するような決断には至らないと思いますから。

とはいえ、当時、日本酒の蔵を復活させるというのは、かなり特殊なことだったようです。両親の話では、日本酒の免許を管轄している税務署の方からも、心配して止められたそうです。

松井酒造
修行時代(写真提供=松井酒造)

自分も日本酒のことは分からずに育ったのですが、物作りには興味はあったので、伏見の蔵で修業させてもらい、日本酒の醸造を勉強しました。

── それほどの状況から、なぜ復活を成功させることができたのでしょうか。その要因をどのように分析されていますか。

松井 復活するまでは、両親が頑張ったのだろうと思います。特に借り入れをすることもなく、小さく復活できたので、それはすごく大きかったはずです。

復活当時
復活当時(写真提供=松井酒造)

今も道半ばですが、私たちの酒造りに対する思いとか、そういうところを消費者、お客様が感じ取って支えてくださったのが、ここまで来られた要因だと思っています。

── マーケティングやビジネスの側面において、何か戦略的な振り返りはありますか。

松井 私は農大を出たわけでもありませんし、醸造の専門ではなかったのですが、だからこそお酒のことを知らない人の気持ちが分かるんです。

専門的な知識があると、もちろんメリットもあるのですが、逆に、お酒になじみのない素人の気持ちが分かりづらくなり、説明が難しくなったりすることがある。それが私はまったくなかったのが、逆に良かったのかなと思っています。

素人ではありましたが、製造のトップにあたる杜氏さんにくっついてマンツーマンで教えていただきました。

松井酒造
(写真提供=松井酒造)

杜氏さんには冬場だけお越しいただいていたので、夏の時期に1本自分で仕込んでみようと思い立ちまして、初めて自分1人だけでお米の仕入れから仕込み配合を決めて、仕込むことができたのが自信になりましたね。

モダンな日本酒「神蔵」に宿る先進のテクノロジー

── 松井酒造の代表的な銘柄である「神蔵」(かぐら)について、そのコンセプトや特徴を教えてください。

松井 うちは酒蔵として結構珍しい立地、環境で、復活して以来、ビルの1階でお酒造りをしています。

松井酒造
(写真提供=松井酒造)

蔵を復活させた当初は、ビルの1階にある酒蔵に対して、「多くのお客様が落胆されるのではないか」と懸念していました。昔ながらの伝統的な佇まいを期待されていることが多いからです。

「本当にこのような近代的な場所で美味しいお酒が造れるのだろうか」と、疑問を抱かれるのも無理はないと考えていました。

しかし、だからこそ「この環境でしか成し得ないお酒造りとは何か」を追求することにしたのです。

日本酒造りとは、本質的に微生物の力を借りて進める仕事です。そのため、温度管理と衛生管理の徹底において、どこよりも胸を張れる環境を構築しようと決意しました。

清掃のしやすさを含めた最新の設備を整え、万全の管理体制を敷くことで歴史を再始動させたのです。

松井酒造 店内
(写真提供=松井酒造)

私たちの代表銘柄である「神蔵」は、そうした現代のテクノロジーを駆使して醸す、きわめてモダンなお酒であると自負しています。

── お酒造りにおけるテクノロジーの活用とは、具体的にどのようなことでしょうか。

松井 日本酒の醸造では、麹菌と酵母菌という二つの微生物が、密接な協力関係を築きながら発酵を進めていきます。私たちは、それぞれのプロセスにおける詳細なデータを正確に取得しながら醸造を行っています。

いわば、お酒や醪(もろみ)の状態を日々細かくチェックする「健康診断」のようなものです。常に定量的なデータを把握しながら、理想的なお酒造りをコントロールしています。

── 漫画『もやしもん』の大ファンで、お酒ができるメカニズムを学んだ記憶があります。

松井 現在も『もやしもん』作者である石川雅之先生と私たちの日本酒によるコラボレーションが実現しています。1合缶の「もやしもんコラボ」として、大変ご好評をいただいているんですよ。

もやしもん
もやしもんコラボ(写真提供=松井酒造)

日本酒とアート・アニメが融合する異業種コラボレーションの方法とは?

── 他の業界やエンターテインメントとの連携、コラボレーションについても、これまでどのような取り組みをされてきたのか詳しく教えてください。

松井 コラボの事例は非常に多く、たとえば創業300年を迎えるにあたって、5年ほど前にイラストレーターさんに依頼し、弊社のお酒のキャラクターを描いていただきました。

現在は「カグラ」というキャラクターと、「ミツハ」というリキュールのキャラクターがいて、ショッパー(お酒の袋)に描かれています。

このデザインは、イラストレーターの米山舞さんにお願いしました。米山さんは、かつて東京にあったアニメーション制作会社ガイナックスで、『エヴァンゲリオン』などの作画を担当されていた、世界的にも著名な方です。

松井酒造,米山舞
米山舞さんが手がけたキャラクター(写真提供=松井酒造)

現在は日本酒とリキュールのキャラクターですが、もう一人スピリッツのキャラクターが登場することで、全体のラインアップが完成する予定です。

それ以外にも、季節のお酒では春、夏、秋、冬でそれぞれデザインを変えて展開しています。春、夏、秋に関しては、画家の中島潔先生の絵を使用したスペシャルボトルでお出ししています。

あるいは冬に関しては、近くにある相国寺にゆかりのある、伊藤若冲が描いた「樹花鳥獣図屏風」の絵を使用してお正月ボトルを展開しています。

「伝統」という言葉で思考を停止させてはいけない

── 2018年、40歳の年に代表取締役社長に就任されてから現在にいたるまでの歩みはいかがでしたか。

松井 私が社長に就任した当時は40歳を迎えた頃で、自社のお酒が徐々に市場へ浸透し始めた時期でした。転機となったのは2019年、日本で開催されたラグビーワールドカップです。

想像を超える数の外国人観光客が蔵を訪れるようになり、それまで一人で担っていた海外顧客への対応が物理的に困難になりました。このタイミングで海外人材を初めて1名採用したことが、現在のインバウンド体制の基礎となります。

現在はスタッフ全員が連携し、インバウンドのお客様をスムーズに迎える体制を整えていますが、あの決断がすべての始まりでした。

しかし、体制を整えた直後に新型コロナウイルス感染症の世界的流行に直面します。出勤自体を制限せざるを得ない状況下で、私たちは2ヵ月間にわたり会社を一時閉鎖するという決断を下しました。

製造途中だったお酒の搾り作業だけやりきって、それ以外の業務をすべて停止しました。完全に動きを止めた2ヵ月間こそが、未来に向けた構想を練る貴重な時間となります。

これから挑戦したいことや、形にしたいアイデアのすべてを紙に書き出しました。その時に整理した構想が、現在の事業展開や、先ほどお話しした米山舞先生とのコラボレーションの実現へとつながります。

── コロナ禍という逆境を、未来への構想を練る時間に変えられたのですね。日本酒業界全体の市場動向を踏まえ、どのような戦略を描いていたのでしょうか。

松井 日本酒の国内出荷量は、1973年をピークに、総数としては減少の一途をたどっています。

個別の酒蔵を見れば業績を伸ばしている企業も存在し、ありがたいことに私たちもその恩恵にあずかっていますが、業界全体が縮小傾向にある事実は否定できません。

そのため、日本酒という単一のプロダクトだけで勝負を挑むのは、経営戦略として非常にリスクが高いと判断しました。

そこで目指したのは、日本酒の枠を広げることです。

アートや音楽、ゲーム、アニメーションといった多様なカルチャーと融合させ、「生活のあらゆるシーンに日本酒が溶け込んでいる状態」を創出する。これが私たちの描いた戦略です。

多くの業界の皆様と手を取り合い、様々な連携を試みることで、私たちは現在のような独自の立ち位置を確立するにいたりました。

── サステナビリティへの取り組みや、新しいお酒のシリーズについても教えてください。

松井 2009年の復活当初から、お酒造りで多くの電力を消費する醸造用電力の約6割を太陽光発電でまかなっており、環境に配慮した珍しい酒蔵としてご注目いただく機会も増えています。

松井酒造
(写真提供=松井酒造)

商品のパッケージについても同様で、最終的には土に還る生分解性の素材を採用しています。

また、ジンやラムといったスピリッツ(蒸留酒)の製造においても、資源を無駄にしない循環型の取り組みを実践しています。

松井酒造
(写真提供=松井酒造)

たとえばジンを造る際には、日本酒の醸造過程で生じる副産物である「酒粕」を再発酵させ、それを蒸留してベースとなるアルコールを抽出しているのです。

さらに、風味付けとなるボタニカル(植物性原料)の活用にも工夫を凝らしています。自社で柚子酒を造る際に出た柚子の皮や、近隣のレモネード専門店で廃棄される予定だったレモンの皮などを譲り受けて再利用しています。

あるいは、生花店でどうしても発生してしまう百合や薔薇などの「ロスフラワー(廃棄生花)」を引き取り、それらの華やかな香りをまとわせたジンを製造するといった試みも進めています。

松井酒造
(写真提供=松井酒造)

これらはすべて、資源が循環していく「巡る命」をイメージしているため、お酒のシリーズには「輪廻」(りんね)という名前を付けました。この輪廻シリーズは、今後さらにラインアップを広げる予定です。

松井酒造
「輪廻」(りんね)(写真提供=松井酒造)

様々な取り組みを行う中で、何よりも大切なのは「楽しんで仕事をすること」だと考えています。事業を継続していくうえで一番の障壁となるのは、同じことをただ繰り返すことによる「退屈」です。それは私自身もそうですし、一緒に働いてくれているスタッフも同じです。

これから10年、20年とずっと同じ業務だけを続けるとなれば、優秀な人材であればあるほど「自分はもっと別の挑戦ができるのではないか」と考えてしまうものです。

だからこそ、働く人々を退屈させないよう、そして自分自身も常に新鮮な刺激を得られるよう、広い視野と間口を持って事業に当たっていきたいと考えております。

── 地元のプロスポーツチームである京都サンガF.C.のスポンサーをされていますね。

松井 2020年から、子供たちの育成に使ってくださいということでお願いしておりまして、今年で6年目に入っています。

ちょうどコロナ禍のころに、夢を諦める子供たちがいると聞いたので、そうならないように子供たちの育成で使っていただくということで参画させていただいています。

── 伝統産業の未来、松井酒造が描く100年先の未来の展望についてはいかがですか?

松井 大学生に授業でお話しさせていただく機会がときどきあって、そういうときに「伝統産業の人」という感じで受け入れていただくんですね。

そこで学生さんによく言うのは、「伝統」という言葉の中身をしっかり言語化できるようになるほうがいい、ということです。

お客様から「なぜこのような造り方をするのか」と問われた際、「100年前からこの手法を守り続けているから、これがうちの伝統です」と説明しがちですが、それは一種の思考停止に陥っているのではないかと感じるのです。

伝統という言葉を、思考を止めるマジックワードのように安易に使用することに対して、私は強い違和感を抱いています。

私が考える伝統とは、長年の試行錯誤を経て今日まで生き残ってきた、いわば「成功確率の高い、堅牢な仕組み」です。

日本酒の世界において、私たちの目的はあくまで「優れた品質のものをお届けすること」であり、そこにいたるための伝統は手段にすぎません。

「伝統とは後世にその火を継ぐことであって、その灰を崇拝することではない」と言った方がいますが、まさにそのとおりだと共感しています。

現代のサイエンスや新たな知見を取り入れることで、目的の達成に向けて手法を常にアップデートしていくべきです。それこそが、私たちが目指す「伝統と革新」の本質にほかなりません。

次の100年先へ新たな伝統を創り上げる

── 今後の事業展開における具体的なビジョンをお聞かせください。

松井 おかげさまで復活から17年が経ち、お酒が完売する場面も増えてきたので、直近の目標は生産能力を高めることです。

日本酒だけでなく、リキュールやスピリッツの製造免許も取得しているので、今後はこの強みを活かし、蒸留酒の事業にも本格的に注力していきたいですね。

蒸留酒というものは、年月が経つほどに価値が深まり、「時間が味方に付く」という特性があります。取り組みが本当の意味で結実するのは、もしかしたら100年先になるかもしれませんが、100年後に「あそこには、素晴らしい蒸留酒がある」と評価していただけるような礎を、いまから築いておきたいのです。

京都には、素晴らしい伝統や技術を持つ企業が数多く存在します。たとえば、江戸時代創業で、千鳥酢で知られる村山造酢の村山社長とは親しくさせていただいていますし、鯖寿司の名店である「いづう」の佐々木社長は同級生で、日頃から懇意にしていただいています。

京都には、素晴らしい伝統や技術を持つ企業が数多く存在します。たとえば、江戸時代創業で、千鳥酢で知られる村山造酢さん、鯖寿司の名店である「いづう」さん。これらの社長とは日頃から懇意にしていただいています。

こうした地元の優れた経営者の方々と互いに切磋琢磨しながら、京都のビジネスコミュニティを盛り上げ、次の100年へ向けた「新しい伝統」を共に創り上げていきたいと考えています。