京都市南区に拠点を構える株式会社タキオンワタナベは、自社に加工設備を一切持たない、いわば「工場なき加工会社」だ。
金属切削、精密板金、樹脂加工、塗装などを、延べ350社以上の協力会社ネットワークを駆使し、図面1枚から試作・小ロット生産まで一括で引き受ける。
その独自モデルを率いるのは、1994年生まれの渡邊央剛社長。中学1年生のとき父を亡くし、ニデック株式会社で経営を学んだ後、経営難に陥っていた家業に20代で飛び込んだ。
「根拠のない自信と共に」と本人は笑うが、その背後には緻密な分析と、父から受け継いだ一語があった。同志社大学大学院でMBAを取得し、現在は京都大学大学院法学研究科にも在籍する学びの人でもある。
社名に込めた思い、加工商社という逆張りの論理、京都ものづくりの現在地、そして「産業のインフラ」を目指す長期ビジョンまで聞いた。
工場を持たないことが、最大の強みになる
── まず事業の全体像を教えてください。
渡邊 一言で言うと、加工商社です。うちは自社に加工設備を持っていません。金属の切削、精密板金、樹脂の切削、塗装や表面処理といった分野を延べ350社以上の協力会社にお願いして手配している会社です。
社員は10人ですが、作るのは協力会社で、私たちがやっているのは、いただいた図面を見てどの会社に出すのが一番品質が高くて早くてリーズナブルかを判断し、見積もりを一本にまとめてお返しし、工程を管理し、自社の検査室で測って納品するというところです。
── お客様に評価されているのは、自社のどの部分だと分析していますか。
渡邊 ふつう一つの装置を作ろうとすると、切削の会社、板金の会社、塗装の会社と、発注先が三つにも四つにも分かれることがあります。見積もりも三社分、納期管理も三社分、設計変更の連絡も三社分。そういう手間をまとめて引き受けているのがうちです。
私たちが売っているのは加工技術そのものではなく、お客様が発注先を探す時間や管理する手間を引き受けること、そして自社の検査室でしっかりと寸法を測って納品まで責任を持つこと。そこを一番喜んでいただいています。
── 加工設備を持たないことが「強み」というのは、逆説的に聞こえますね。
渡邊 設備を少しでも入れてしまうと、その設備を稼働させるために仕事を取りに行かないといけなくなります。稼働率を埋めるための受注が出てきてしまう。
でもうちは設備がないので、そういう制約がない。一つからでも対応できるし、多品種少量に絞ってやれる。持っていないことがそのまま強みになっているというのは、一見矛盾しているようで、実はそこがこのビジネスモデルの核心です。
「タキオン」という名に込めた、父への問いと自分なりの答え
── 「タキオンワタナベ」という社名への変更には、どんな思いがあったのでしょうか。
渡邊 もともと父が「タキオン電子」という社名をつけていたんですが、父が亡くなったのが私が中学一年生ぐらいの時だったので、なぜタキオンという名前にしたのか直接聞けなかったんです。
タキオンというのは光速を超えて動くとされる仮想粒子で、それが社名の由来だということは知っていましたが、父の真意は聞けずじまいで。聞けばよかったなとは今でも思います。
── 「電子」を外してワタナベを加えた理由は?
渡邊 理由は三つあります。一つは事業の実態との乖離。いまはプリント基板周りはほとんどやっていなくて、金属切削や板金が主力なのに、電子という名前のせいで新規営業に行くと「基板の会社ですね」と受け取られてしまい、誤解を解くところから始めないといけない場面が続いていた。
もう一つは、ファミリービジネスの会社が社名に一族の姓を入れると信用が上がるという研究を見たことがあって、トヨタや村田製作所のように、名前そのものが信用につながる側面があると考えたこと。
三つ目は、純粋に検索の問題で、「タキオンワタナベ」で検索するとほぼ一番上に出てくるので、まず見つけてもらえる状態を作りたかった。あと、「漢字の『渡邊』はどの辺?」という話がよく出るぐらい書くのも面倒なので、カタカナにすることで親しみやすくしたという意味もあります。
── 「タキオン」の意味は、今は社長ご自身の言葉で定義されているとか。
渡邊 はい。あらゆる困難な挑戦に対して、光速を超えるような速さと情熱で応える。そういう存在を目指すという意味で、ウェブサイトにも記載しています。父がどんな思いをこめていたのかは分からないままですが、自分なりに意味を持たせた上で今の事業につなげています。
根拠のない自信と「千切り経営」で挑んだ会社の再建
── 会社に戻るまでの経緯を教えてください。
渡邊 ニデックで永守さんの下で働いていて、本当に充実していました。評価もしていただいていて。ただ転職も視野に入れていた時期に、家業に戻るという可能性も検討していました。ちょうどコロナ禍の流行り始めの頃で、それまでにも米中貿易摩擦やリーマンショックの影響が長く続いており、売り上げがどんどん下がっている状況でした。
父が亡くなって以降、成長していなかったことは数字として明らかで、借入金も増えていた。まだ20代中盤で根拠のない自信と共に、自分ならなんとかできると思って戻ることにしました。
── 戻ってみて、実態はいかがでしたか。
渡邊 聞いていた以上に傷は深かったです。キャッシュフローが良くなく、稼働していない検査設備、過剰な保険、見直されないまま続いていた契約がたくさんあった。令和の時代にほとんどの業務が紙で回っていたり、平均年齢が50代後半で、技能の継ぎ手もいない状態でした。
ニデックで永守さんの経営を間近で見てきたので、その良い面は徹底的に学ぼうと。永守さんが「千切り経営」とおっしゃっていましたが、大きな問題を小さく切って解像度を上げて対応していく。最初は一件ずつ棚卸しして、外せるものから外すということを順番にやっていきました。
── 社内の変化で、特に苦労したことは?
渡邊 新規開拓をあまりしてこなかった文化を変えることと、個人商店の集まりだった組織をチームとして機能させることが一番難しかったですね。
営業がそれぞれインセンティブを抱えてやっていて、協力し合う文化があまりなかった。手書きをスプレッドシートに変えるだけでも抵抗が出るような状況でしたが、メリットを一つ一つ説明して、順番に変えていきました。50代後半の方たちが途中で離脱していく場面もありましたが、今は平均年齢が40代前半になって、一番若い社員は28歳です。
「誠実・挑戦・自立」——スピードへのこだわりと人を見る目
── 経営者として日々心がけていることは何ですか。
渡邊 従業員によく言っているのは、誠実・挑戦・自立という三つです。誠実というのは、社内外を問わずごまかさない、言い訳をしない。特によく言っているのが「悪い報告こそ率先する」ということです。挑戦は前向きな失敗を歓迎するという姿勢で、自立は他者に依存せずまず自分の頭で考えて動く。自分で考えることが成長にもつながるという話はよくしています。
── 採用の場面では、何を見ていますか。
渡邊 他責思考が染み付いていないかどうかはどうしても見てしまいます。自分の頭で考えられるか、責任を自分で負えるか。
ただそれでいながらチームとして働けるか。そのバランスです。あとは、どういう意志を持ってこれまでの選択をしてきたか。結果としてどう満足しているかを聞くと、その人の本質的な考え方が見えてきます。学歴はどうでもいいんですが、自分の選択に自覚的かどうかというところは見ていますね。
── ニデックの永守さんの影響は大きいですか。
渡邊 一番大きいです。新入社員のときから広報宣伝部で永守さんの横で働かせてもらっていたので。「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という言葉は浴びるほど聞いて、今でも染み付いています。今でも永守さんだったらどう判断するか、ということは意識します。
たしかに永守さんの手法には、反面教師にしないといけない部分もあると思いますが、多くのことを学べたことは事実です。
京都つながりで言えば稲盛さんの本もたくさん読みました。
── AIについてはどんなスタンスですか。
渡邊 今は社員全員にClaudeのアカウントを発行して使わせています。炊飯器を使って米を炊くのは手を抜いていることにはならない。AIも同じで、使わないでいることがリスクだと思っています。
ただ、AIに責任は取れない。AIが出した答えはあなたが出した答えなので、質問が返ってきたときに答えられなければ意味がない。任せるんじゃなく共存する、というスタンスで、AIに任せた分の時間で別のことをするということを推奨しています。
京都の「職人ネットワーク」を現代に継ぐ者として
── 京都でビジネスをすることについて、どう感じていますか。
渡邊 京都には世界に出ているメーカーの本社が集まっていて、それを支える町工場が層になってたくさんある地域です。この密度はそう簡単によそには作れない。
昔の京都は、西陣でも清水焼でも、工程ごとに職人が分かれていて、それを取りまとめる人がいて成り立ってきた文化があります。うちがやっていることは、その製造業版、現代版みたいなものだなとは思っています。
── 課題はどこにありますか。
渡邊 その町工場が高齢化と廃業でどんどん減っています。うちのような束ねる側の役割はどんどん重くなっていて、この街の技術をどう次の世代の仕事につなげていくかが大きな課題だと思っています。
「京都を代表する企業100選」に選んでいただいたり、ワークライフバランス企業に認定されたりしていますが、それが直接受注を増やすわけではなくて、社員が自社を誇りを持って説明できる、採用の場面で訴求できる、という意味で生きています。
── 東京と京都のビジネス環境の違いは感じますか。
渡邊 東京だと「ベンチャーなら成長して大きくなれ」というプレッシャーがある気がしますが、京都は小さい会社でも製造業でも、長く続けることを認めてくれる雰囲気があります。うちみたいに量産はやらずに試作と小ロットに絞っていることを強みとして、大企業からも評価してもらえる。京都でやってきた実績をもとに東京で受注につながることもあります。
「目立たなくていい、なくてはならない存在に」——航空・医療・海外へ
── 今後の展望を聞かせてください。
渡邊 直近では航空関係と医療関係の分野への参入を狙っています。航空分野は求められる認証水準が高く参入障壁も高いですが、その分入れれば大きい。AS9100という航空宇宙分野の品質マネジメント規格を取得することを今期のプロジェクトとして社内で進めています。
海外については、アメリカの西海岸や東南アジアに需要があると聞いていて、アメリカ企業は中国での加工をNGとするところが多く、日本の加工商社を介して日本の工場網を使いたいというニーズがあります。英語は日常会話程度なら問題ないので、今年は海外のお客様との打ち合わせも少しずつ始めています。
── 会社として最終的に目指すものは何でしょうか。
渡邊 産業のインフラになることです。電気やガスと同じで、あるのが当たり前で普段は意識されないけれど、なくては困る存在。製造関係で困ったときはタキオンワタナベに聞けばいい、という状態を作れたら、それが一番です。目立たなくてもいい。なくてはならない存在になりたい。
ミッションとして掲げているのは「全てのステークホルダーと共に、今日より少し幸せな明日を創造する」という言葉で、「少し」というところが大事だと思っています。
劇的に変える必要はなくて、昨日より今日、今日より明日、ほんの少し良くなっている。お客様も協力会社も社員も、その家族も含めて、全員が少し幸せだったらいい。そういう会社でいたいです。
──さまざまな経験をしたうえで若くして会社を引き継いだ社長の言葉には説得力があります。もし若いビジネスパーソンや、いつかリーダーになりたいという人に言葉をかけるとしたら、どんなことを伝えますか。
渡邊 私は高校を二回、大学を一回中退しています。そういうやめた経験、失敗した経験は恥じる必要はなくて、やめた回数はそのまま挑戦した回数でもある。本当に苦しい時に自分を追い込みすぎて精神が壊れてしまうくらいなら、適切にやめることを判断するのも大事です。
経歴の傷は、後から無理やり意味を持たせられる。失敗しても、将来笑い話にできる挽回を探せばいい。それだけの話だと思っています。あとは、今役に立つかどうかではなく興味で動いてみることです。
私は宅建やFP2級、保育士の資格も持っていますし、潜水士の資格まで取ったことがあります。なんの役に立つかは後になってみないと分からない。でも手札は多いほうがいい。若いうちは、他の人から興味を持ってもらえるような生き方をしてみることが、遠くまで行くためには大事なのかなと思います。