
壁にかけられた「窓」から、世界中の美しい風景が広がり、鳥のさえずりや波の音が聞こえてくる。たとえ、すぐ隣にビルが建つ都心のマンションや、日当たりが悪いアパートなど、風景が楽しめない部屋であっても。さらには、それが地下室であっても──。そんな夢のような体験を現実にしたのが、京都のスタートアップ・アトモフ株式会社が開発した「Atmoph Window」だ。
創業者である姜 京日氏は任天堂を退職後、自身の原体験からたった一人で思い描いたアイデアは、今や世界中のユーザーに癒しを届けるプロダクトへと成長している。ハードウェア、ソフトウェア、そして世界1,900ヵ所以上で独自撮影した風景コンテンツという三位一体の戦略は、いかにして生まれ、育ってきたのか。
「自分がいたから地球は良くなった、と本気で思えることをしたい」。そう語る姜氏の揺るぎない信念と、アトモフが描く未来像に迫る。

■「窓が欲しいですか?」——市場調査ではたどり着けない、潜在的ニーズの確信
――御社はAtmoph Windowだけを手がけているとのことですが、この商品について改めて教えてください。
姜氏(以下、敬称略) これは、壁にかけるだけで世界中の風景を楽しめる「バーチャル窓」と呼んでいるプロダクトです。独自に撮影した1,900本以上の風景映像を、15分間のループでサウンドとともにお届けします。
いま創業10年で、現在販売している「Atmoph Window Yo」は第3世代モデルになります。累計で2万5,000台ほどを販売し、その約8割が個人のユーザーで、その中の3〜4割が海外のお客様です。

──創業のきっかけは、姜社長がアメリカ留学中に、部屋から風景が見えないストレスを感じた原体験からだとうかがいました。個人的な課題をプロダクトに落とし込む際、市場調査などはされたのでしょうか。
姜 いいえ、市場調査はしませんでした。このアイデアにたどり着くまで10年ほどかかったのですが、その間、VRゴーグルでハワイの映像を見たり、プロジェクターで風景を投影したりと、あらゆる代替手段を試しました。しかし、VRは装着を外すと現実に引き戻されますし、テレビやPCにはそれぞれ本来の用途があります。「常にそこにあって風景を映し続けてくれるもの」は、世の中に存在しなかったのです。
そもそも、「風景を変えたいですか?」とか「窓が欲しいですか?」と聞くのっておかしいですよね。家を建てれば、見える景色は変わらないのが当たり前です。存在しない概念についてヒアリングをしても、おそらくおかしなことになってしまう。だからこそ、市場調査に頼るのではなく、自分の感覚を信じて、新しい体験を探求し続けました。
──室内に風景画やポスターを掲げるのと同じ、その延長線上にあるということですね。
姜 その通りです。昔から人々は、襖絵や絵画で風景を室内に取り入れてきました。Atmoph Windowは、それがただ「動くようになった」だけだととらえています。
窓を増設するという大掛かりな話ではなく、ポスターを掛けるような気軽さで、動く風景を取り入れられたらどうだろう、という発想が原点です。
■「あなた以外に欲しい人はいるの?」投資家から酷評、クラウドファンディングで拓いた活路
──構想からここまでは順調でしたか?
姜 いえ、最初はまったく評価されませんでした。創業翌年に投資家を回ったのですが、誰一人としてピンと来ていなかった。「あなた以外に欲しい人がいるの? それをどう証明するの?」と問われるばかりで、まったく投資には至りませんでした。これは続けても意味がないとすぐに悟りましたね。
──その状況をどうやって打開したのでしょうか。
姜 クラウドファンディングです。当時、私たちにはこれしか選択肢がありませんでした。創業1年で資金が尽きる見込みでしたし、実績のない製品でお金を集める方法は他に思いつかなかった。
そこで2015年に、アメリカの「Kickstarter」でプロジェクトを立ち上げました。もしこれで支援が集まらなかったら、会社を畳む覚悟でした。結果として、世界中から約500人の方が予約注文という形で支援してくれたのです。この時、「ああ、世界に少なくとも500人の仲間はいるんだな」と確信でき、ようやくスタートラインに立つことができました。
■「僕がいたから地球は良くなった」——世界を変えるための"エゴ"が原動力
──これまで事業を継続し、常に新しい挑戦を続けるモチベーションの源泉は何でしょうか。
姜 「世の中にないものを作りたい」という思いがすべてです。
私は、100社がひしめく市場で競争を勝ち抜くようなビジネスは、自分には向いていないと思っています。誰もやっていない領域、大げさに言えば「自分がいなければ、この地球になかった」と本気で思えることをしたい。それが私のエゴであり、生きた証を残したいという欲求なんです。
──そのモチベーションを維持するために意識されていることはありますか?
姜 ユーザーの存在が非常に大きいですね。最初は自分たちが「良い」と信じるものでしたが、今では2万5,000台以上の窓が世界中で稼働し、多くの方がサブスクリプションを続けてくれています。
私たちにとってユーザーは「ファン」であり、応援者です。その存在が、「この道でいいんだ」と背中を押してくれ、エゴをさらに突き通す力になります。「もっと広い世界を見せますよ」と、仲間と一緒に冒険しているような感覚です。
私が影響を受けた人物は、iPhoneを創ったスティーブ・ジョブズや、自動車を発明したカール・ベンツなど、やはり「世の中になかったもの」を創り出してきた人たちです。自分もそうありたいと強く憧れています。経営者として事業を成功させる責任と、クリエイターとして新しいものを創りたい情熱。その葛藤は常にありますが、彼らのように、私もビジネス感覚を磨きながら挑戦を続けていきたいと思っています。

──経営者として大事にしている言葉はありますか?
姜 正直悩んだのですが、「まだないものを作りたい」という思いが常にありますね。それが、私が経営者として最も大切にしている言葉です。
──なぜその言葉を大切にされているのでしょうか?
姜 自分でもはっきりとは説明できないのですが、おそらく私自身が、いわゆる典型的な「ビジネスマン」とは異なるタイプだからかもしれません。ビジネスの場で「私なら人より売れる」と豪語するようなタイプではないんです。すでに多くの競合が存在する市場、いわゆるレッドオーシャンでトップを獲るというのは、私には非常に困難だと感じます。
例えば、コインパーキング業界で日本一を目指すといったことも、私にとっては「絶対に無理だ」と思ってしまう。つまり、既存の市場で競争して1位を目指すというよりも、まだ世の中に存在しない、新しい価値を創造することに私の性格が向いているのだと思います。
──人生で参考になった書籍はありますか?
姜 私が影響を受けた書籍の一つに、『自動車と私 カール・ベンツ自伝』という本があります。この本を読んだ時もそうでしたが、いつも心に浮かぶのは、やはりスティーブ・ジョブズのような人たちなんです。家庭用コンピュータやiPhoneを世に送り出した彼のように、まだ世の中になかったものを創造してきた人々に、私は強く魅了されてきました。
新しいものを生み出したいという思いが強いからこそ、こうした「まだないもの」を作ってきたヒーローたちへの憧れが、私の根底にあるのかもしれません。彼らが手掛けた書籍に触れる機会が多かったことも影響していると思いますが、そういった先人たちの生き様が、私を「まだないもの」を創り出す道へと導いてくれたのだと感じています。
■アートとテクノロジーが共存する街、京都がくれた「癒しと刺激」
──任天堂を退職後、東京ではなく京都で起業された理由は何だったのでしょうか。
姜 実を言うと、一番の理由は資金です。当時、家族もいたので東京に引っ越せば数百万円かかります。その資金があるなら、すべて事業につぎ込みたかった。
ただ、そう思えたのも「京都でもできるはずだ」という確信があったからということもあります。京都には、任天堂をはじめ、世界的な企業がこの地から生まれている。それが、場所を言い訳にしないための支えになりました。
──京都という街のビジネス環境は、事業にどのような影響を与えていますか?
姜 2つの面で大きな影響があると感じています。
1つは、美しいコンテンツの素材が豊富にあること。私たちの風景映像には京都で撮影したものも多いのですが、手入れの行き届いた自然や美しい街並みがすぐそばにあるのは、非常に助かります。
もう1つは、リフレッシュできる環境です。アイデアを考えるとき、オフィスから少し歩けば鴨川や京都御所といった、心安らぐ場所がある。東京にいた頃は、公園に行くにも電車に乗る必要があり、リフレッシュするまでに一種のコストがかかっていました。
アートとテクノロジー、癒しと刺激が絶妙なバランスで共存しているのが、京都の魅力だと思います。
■"窓"の概念を拡張し、世界的な企業へ。アトモフが描く未来

──最後に10年後の会社のビジョンについてお聞かせください。
姜 Atmoph Windowという分野を私たちが創り、発展させ、世界中の誰もが知っているような「世界的な企業」になっていたいですね。日本だけでなく、世界で使われるのが当たり前の存在を目指しています。
将来的には、製品も進化していくでしょう。もっと軽く、薄く、安く、そしてサイズも多様になるかもしれません。新築の家を建てる際に、最初から導入されるのが当たり前になるような提案もしていきたい。
さらにその先、10年以上先かもしれませんが、コンタクトレンズや脳波で直接ビジョンを操作する時代が来れば、このハードウェアすら不要になる可能性もあります。SFが好きなので、ドラえもんのひみつ道具のように、さまざまな形で世界の風景を届けられるようになれたら面白いですね。
【関連リンク】
アトモフ株式会社 https://atmoph.com/ja