京都で不動産売買や仲介、建設コンサルティングに従事してきた株式会社日本総合開発は、長年培ってきた「人」とのネットワークを強みに、景観の規制に厳しい京都の地においても、実績を、そして評価を積み上げてきた。そして創業10年を迎える今年には、松岡社長が創業時からの目標として掲げてきた、京都市中心部での自社ブランドマンション事業を始動させる。京都の景観や文化を尊重しつつ、人口減少や空き家問題といった地域課題に向き合う同社が目指す未来の街づくりとは。
創業10年目の節目に挑む、京都市中心部での自社ブランドマンション事業
── 御社は創業が2015年で、今年で10年目を迎えるそうですね。
松岡氏(以下、敬称略) この9月で10期目を迎えます。会社を設立したとき、「10年目には自社ブランドで分譲マンション事業を京都市内に特化して進めたい」という目標がありました。この10期目から、大手デベロッパーさんとの共同事業で、約40戸弱の分譲マンション事業を自社ブラントとして共同開発します。
── マンションを建てられるエリアはどのようなエリアなのでしょうか?
松岡 京都市の烏丸御池、蛸薬師、我々京都人から言いますと、いわゆる京都の「おへそ」の部分、市の中心部の真ん中と言われるところです。
具体的には、京都市営地下鉄烏丸線と東西線が交差する烏丸御池駅からほど近いエリアで、交通の便も良く、歴史と文化が息づく京都の中心地です。
私はこの業界に入り、ほぼ36年が経ちます。もともと建築の設計事務所に勤務しており、京都の開発案件など、さまざまな事業に参画させていただき、主たる業務として京都市内の分譲マンションを数多く手がけさせていただいた経験があります。
そういった中で、将来事業を起こした際には、自社ブランドで良質な住宅を供給したいという目標、夢が生まれました。
── これまでの10年で、御社のどこが支持されている、強みであると分析されていらっしゃいますか?
松岡 まず、デベロッパー様との信頼関係については、日々の業務が重要です。当社には不動産事業部と開発事業部という部署があり、開発事業部では、たとえば中高層のオフィスビルやマンションを建てる際、少なからずご近隣様への影響が出ます。
そういった問題について、デベロッパーさんの代理となって、地域の皆様とさまざまなお話し合いをさせていただき、事業が円滑に、スケジュール通りに進むよう担ってきました。そうした取り組みを当初から続けてきたことで、徐々にデベロッパーさんからの信頼を得られたのだと思います。
不動産事業部に関しても、会社を起こした当初はファイナンスの問題など、事業の取り組みは難しいものでした。しかし、地域の不動産業者様とも密接に日々コンタクトを取り、信頼を得られるような情報交換をさせていただくなど、地道な活動を行いました。
創業から3年ほど経ち、金融機関からの一定の評価などもいただく中で、ファイナンスが少しずつ芽生えてきました。小さなものでしたが、開発する不動産を購入し、収益性のある物件に仕上げていくという点を、こちらも地道に一つひとつ、確実に進めてきました。
こうしたことの積み重ねが今につながっていると感じております。
京都ならではの景観を守ること 生活者として見た京都の課題と未来への責任
── 京都は景観に関する条例や規則などのルールだけでなく、住民の街並みに対する意識も、他の地域よりも厳しいと思います。住民の皆さんとの交渉は、時に大変ではないでしょうか。
松岡 私は創業前、設計事務所にいた時から23年間ぐらい、そういった開発に携わってきているのですが、地域住民の皆さんへのアプローチは、京都生まれ京都育ちですし、人との話し合いの場面でどうすれば良いかについて、私自身も自分なりに考えているところがあり、それを持って進めています。
たしかに非常に時間のかかることですが、一人ひとりと話し合いを続けたり、全体での説明会や協議会で真摯(しんし)に耳を傾けたりして、それをどのような形で活かしていけるかという、時間のかかる作業を続けてきました。
ルールの面では、たとえば条例で、建物の高さが31メートルまでと定められています。そのおかげで町の中心部には京町家などが残っているのですが、高い建物が建てられないことに対して、地域の皆様にはご理解をいただかなければいけない。
我々としては、より良い建物を作っていくという点を大切にして十分にお話を重ね、ご理解をいただきながら事業を進めています。
── ずっと京都にお住まいとのことですが、生活者として見た京都に対するイメージや、長くお住まいになられての変化、今どういう状況にあると率直に思われますか?
松岡 私個人的な思いとして、いま中心部では大型マンションやオフィスビルが建っていますが、市の中心部からどんどん郊外に移り住む方が増えており、横のつながりと言いますか、京都特有の文化が少し薄れてきていると感じております。
また、若者に対する手当などが京都市の場合は十分とは言えず、生活がしやすい街とは言えなくなってきているという点は正直感じていますね。
街づくりへの情熱と「信頼」を核とするリーダーシップ
── そういった課題を認識されている中で、京都の中心部で自社ブランドとして、住まう場所を作っていくのは大きな挑戦だと思います。社長が日頃会社を経営し、組織を引っ張るリーダーとして意識されていることや大切にされていることは何ですか?
松岡 私が一番大切にしているのは、「信頼」です。この事業に関して、信頼なくしては成り立たないということを、私はモットーとしております。
会社のスタッフにもそういった話をしており、己の欲よりも、仕事を一緒にする方々との間でWin-Winの関係を築くことをまず心がけるよう、そういう教育をしています。社員の採用においても、街づくりへの情熱を重視しています。
── 社長ご自身が目指していらっしゃるリーダー像や、目標にされている経営者などはいらっしゃいますか?特定の名前でも、モデル像でも構いません。
松岡 目指すということとは違うかもしれませんが、京都生まれ京都育ちということもあり、京セラ創業者の稲盛和夫さんは、私の中では非常に大きな存在です。講演などにはよく行かせていただきましたし、質問や握手程度はさせていただいたことがあります。
── この10年の中で大変な時期もあったと思います。今振り返ってみて、この時すごく大変だったなという時期や出来事はありますでしょうか?
松岡 創業して3年目ぐらいでしょうか。開発案件を進めている際に、金融機関からのファイナンスをいただいて共同事業で進めていたのですが、共同で取り組んでいた会社さんが資金的に非常に苦しくなってきたときですね。
我々がカバーしようとしましたが、事業そのものが、我々の当初の目的に到達せず、事業そのものも断念することになりました。金融機関さんにご迷惑をおかけしたというわけではないですが、当初の事業計画をまっとうできませんでしたし、事業を止めるという点で、金銭的な部分を含めて非常に苦労し、歯がゆい思いをしました。
── 最近で言うとコロナ禍や、その後のインフレによる人件費や資材価格の高騰など、市場環境の変化についてはどのように対応されましたか?
松岡 まずコロナ禍の中では、当初は危機感を覚えましたが、時間が経つにつれて、不動産という職種に関してはあまり影響がない、むしろ将来を見据えて、ここは少しアクセルを踏む時ではないかと思い、事業に邁進してきました。
今の不動産マーケットは、京都に限らず日本全国、首都圏を筆頭に、不動産の価格が常に右肩上がりで上昇している状況です。我々も、これが良いか悪いかは別として、この今の時勢に乗っていくことは必要だと感じており、コロナ禍以降、アクセルを踏んで、さまざまな不動産事業に取り組んできました。
人口減少と空き家問題に挑む、京都の未来への貢献
── ずっと先の50年、100年を見据えて、御社がどうなっていきたいか、事業をどうしていきたいか、京都にどうなっていってほしいかといった、将来を見据えた社長のお考えを率直にお聞かせいただけますか?
松岡 京都は有数の人口減少の街となっているので、京都に活気を生むために、京都をもっと人が住み、活動するという場所にしていきたいですね。
最近力を入れているのは、京都に多い空き家の問題です。空き家問題は、10年ほど前から行政を含めて全国的にも喫緊の課題となっていますが、個々の空き家をどう使うかという側面だけでなく、もっと幅広い連携を含めた、広い対策を講じる必要があります。
将来的には、空き家を逆に活性化につなげる材料としたいです。10年後には、京都市内の空き家の少なくとも15%はそういった活用ができるようにしていきたいと、日々取り組んでいます。
── デベロッパーとして、企業としては、建物を建てて売ることだけを考えるほうが利益につながりそうですが、空き家対策という社会課題に解決に取り組みたいと思われた理由は何でしょうか?
松岡 たしかに作って売ることも大事です。リーマンショック以降、コロナ禍も含めて、不動産の指標は、ずっと上昇傾向が続いているのですが、最近、京都のマンションの状況を見ると、新築で完売はしたものの、富裕層や転売目的の方々、海外の方が購入されているケースで、出来上がったマンションが電気一つもついていないという光景が見られます。
我々も不動産開発・販売事業を営んでいるので、そういった事業も当然、会社の存続のためにはやっていかなければならない。その点は否めません。
とはいえ、市の中心部から郊外に住民の皆さんが移られているのを目の当たりにして、思うところもあります。町家や空き家をいかに活用して、人を増やすか、(出ていった人たちにも)戻ってきてもらえるかという点も、これからは注力しなければいけないと強く感じています。
元野球少年が初めて観戦したバスケの試合で感じたこと
── 来期から京都ハンナリーズのスポンサー契約を結んだことが最近、ニュースになっていました。そのきっかけや社長の個人的な思いなど、お聞かせいただけますでしょうか?
松岡 もともと私は小学、中学と野球少年だったのですが、私の友人で、京都で建設会社を経営されている社長が、会社にユニフォームを飾っていて、ハンナリーズさんのスポンサーになっていることを知ったんです。
私も会社の広告的なことを考えていたので、話を聞かせていただきました。バスケットボールが全国的に盛り上がってきていることも肌で感じていたため、アプローチしたわけです。
そして、来シーズンからの契約を前に、一度試合をお誘いいただき、当社の若手の社員含めて試合を観戦させていただいたのですが、初めて室内型でバスケットを観戦して、その盛り上がりや照明、音響が私の頭と胸に突き刺さり、バスケットの良さ、素晴らしさを感じました。これからハンナリーズさんとともに、我々も会社として成長していきたいと考えています。
── なるほど。当面の目標は新しいマンションブランドの成功だと思いますが、その先を含めて今後の展望について、最後にあらためてお聞かせください。
松岡 日本総合開発は、京都に根差し、京都の街を作っていくという点を主眼として事業を進めております。企業の利益優先のみではなく、京都から必要とされる会社を目指していきたい。これから分譲マンション事業もスタートしますが、より皆様に安心安全、そして確かなクオリティの住宅を供給していきます。
京都で必要とされる、愛される会社として、これからも日々邁進してまいります。