はじめに:「経営を学ぶ」ということ
経営者やビジネスエグゼクティブは、日々、目の前の重要な意思決定や煩雑な業務に追われて、「今さら何を学べばいいのか」「経営は座学ではなく実践だ。経験こそが最良の教師だ」と、そう感じているかもしれません。
たしかに、現場での経験から得られる知見は何物にも代えがたい財産ですが、時代は私たちが経験したことのないスピードで、複雑に、そして根本的に変化しています。長年培ってきた経験や勘だけでは乗り越えられない、まったく新しい種類の壁に直面する場面も少なくないはずです。
今、この変化の時代を牽引するリーダーに求められているのは、過去の成功体験に安住する「経験値」だけではありません。それは、自らを常に最新の状態にアップデートし続ける「学び続ける力」です。
小手先のテクニックではない、経営の「幹」となる知識と思考法をどう学び、どう実践につなげていくか、その具体的なロードマップを提示します。
なぜ、今あらためて「経営の勉強」が必要なのか?
すでに豊富な経験を持つリーダーが、なぜ貴重な時間を割いてまで学び続けなければならないのでしょうか。それは、学びが単なる知識のインプットではなく、経営者自身のOS(オペレーティング・システム)を更新し続ける行為だからです。その本質的な理由から考えていきましょう。
変化の時代を乗りこなすための「新しい地図」を手に入れる
デジタル化(DX)、グローバル化、サステナビリティ(ESG/SDGs)への要請、そして顧客や従業員の価値観の多様化。ビジネスを取り巻く環境は、まさに激変しています。かつては絶対的な強みであったものが、一夜にして弱みに転じることすらあり得ます。
過去の成功法則が必ずしも通用しない現代において、我流の経営を続けることは、古い地図を頼りに未知の大海原へ漕ぎ出すようなものです。
経営学のフレームワークや最新の市場動向、ファイナンス理論などをあらためて学ぶこと。それは、この変化の時代を航海するための「新しい地図」を手に入れることに他なりません。たとえば、他社がどのような戦略でDXを推進しているのか、あるいは、新しい世代はどのような働きがいを求めているのか。そうした知識が、自社の進むべき針路を定めるうえでの重要な判断材料となります。
会社の成長を妨げる「思考の癖」から脱却する
長く経営に携わり、成功体験を積み重ねてきたリーダーほど、無意識のうちに「思考の癖」や「成功体験への固執」が生まれます。それは「アンコンシャス・バイアス」(無意識の偏見)とも呼ばれ、合理的な意思決定を妨げる要因となります。
「わが社のやり方はこうだ」「これまでこの方法で上手くいってきたのだから、変える必要はない」。こうした思考は、組織の硬直化を招き、イノベーションの芽を摘んでしまいます。
体系的な経営の知識を学ぶことは、こうした自らの思考の癖を客観視するための「鏡」を持つことです。経営戦略論や組織論といった学問のフィルターを通して自社の経営を見つめ直すことで、「なぜ、あのときAという判断をしたのか」「もしかするとBという選択肢もあったのではないか」と、自らの判断プロセスそのものをメタ認知(客観的に認知)できます。それこそが、これまで見過ごしてきた組織の課題や、新たな事業の可能性に気づかせてくれるのです。
守破離(しゅはり):我流の経営を「型」へと昇華させる
京都の伝統文化や武道、芸事の世界で古くから重んじられてきた「守破離(しゅはり)」という考え方があります。これは、経営においてもまったく同じことが言えます。
多くの経営者は、日々の実践(我流)からキャリアをスタートさせます。しかし、ある一定のレベルからさらに成長するためには、一度「型」を学ぶプロセスが不可欠です。
まずは、マイケル・ポーターやピーター・ドラッカーといった先人たちが、数多の企業の盛衰を分析して築き上げた経営の「型」(守)を体系的に学びます。次に、その型を自社の置かれた独自の状況や企業文化にあわせて応用し、試行錯誤します(破)。そして最終的に、それらの知見と自らの経験を融合させ、自社だけが持つ独自の経営哲学や勝ちパターンを確立する(離)。
学びとは、あなたの貴重な経験を、再現性のない「我流」や「勘」から、強固な論理に裏打ちされた本物の「型」へと昇華させるための、きわめて知的なプロセスなのです。
経営の「幹」となる4つの必須科目
「経営を学ぶ」といっても、その範囲は広大です。どこから手をつければ良いか分からない、という方のために、時代が変わっても決して揺らぐことのない、経営という大木の「幹」となる4つの必須分野を紹介します。これらはすべて、独立しているのではなく、相互に密接に関連しあっています。
1. 経営戦略:「何をやらないか」を決める技術
経営戦略とは、煎じ詰めれば「限られた経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)を、どこに集中させ、どこに集中させないか」を決めることです。つまり、「何をやらないか」を決める技術とも言えます。
多くの企業は、いろいろなことに手を出しすぎてリソースが分散し、結果としてどれも中途半端になってしまう「戦略なき多角化」に陥りがちです。
SWOT分析(強み・弱み・機会・脅威)や5フォース分析、VRIO(価値・希少性・模倣困難性・組織)といったフレームワークを学ぶことは、自社の置かれた競争環境を冷静に分析し、「わが社が本当に戦うべき土俵はどこか」「どの強みを磨き上げれば、他社に真似できない競争優位を築けるか」というシナリオを描くための思考の武器を手に入れることになります。
2. マーケティング:選ばれ続けるための仕組みづくり
マーケティングとは、単なる「広告宣伝」や「営業支援」のことではありません。その本質は、「顧客は誰で、その顧客が本質的に何を求めているのかを深く理解し、自社だけが提供できる価値を設計し、それを適切に届け、結果として選ばれ続けるための仕組みづくり」のすべてを指します。
「良いものを作れば売れる」という時代はとうの昔に終わりました。顧客自身も気づいていないような潜在的なニーズ(インサイト)をどう発見するか。STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)で、どの顧客に狙いを定めるか。4P/4C(製品・価格・流通・販促)をどう組み合わせて価値を届けるか。
これらの体系的な知識を学ぶことで、勘や属人的な営業スキルに頼るのではなく、組織として「売れ続ける仕組み」を構築する視点が得られます。
3. ヒト・組織論:ビジョンを共有し、自律的に動ける組織づくり
経営者のビジョンがいかに素晴らしくても、それを実行するのは「ヒト」であり「組織」です。しかし、この「ヒト」に関する問題こそが、多くの経営者にとって最大の悩みどころではないでしょうか。
「なぜ社員は、経営者と同じ目線で考えてくれないのか」「どうすれば、指示待ちではなく自律的に動ける人材が育つのか」。
組織論やリーダーシップ論、人的資源管理(HRM)を学ぶことは、こうした課題に対する処方箋を与えてくれます。経営理念やビジョンをどう浸透させるか。モチベーション理論に基づいた評価・報酬制度とは何か。採用、育成、そして組織文化をどう醸成していくか。これらはすべて、経営者が学ぶべき重要な「技術」なのです。
4. アカウンティング・ファイナンス:未来の舵取りを行う「事業の言語」
「経理や財務のことは、税理士やCFOに任せている」という経営者もいるかもしれません。しかし、会計(アカウンティング)と財務(ファイナンス)は、経営者自身が絶対にマスターすべき「事業の言語」です。
アカウンティング(管理会計)は、過去から現在までの経営活動の結果を数字で読み解き、自社の健康状態を診断する技術です。損益計算書(P/L)でどこに無駄なコストが潜んでいるのか、貸借対照表(B/S)で資産効率は良いか(ROICなど)を分析し、経営改善の打ち手を考えます。
ファイナンスは、未来の投資判断を下すための技術です。「この新規事業は、どれくらいのリターンが見込め、リスクはどれくらいか」「そのために必要な資金を、銀行借入(負債)と自己資本のどちらで調達するのが最適か」。こうした未来への意思決定の精度を高めるのがファイナンスの役割です。この言語を理解して初めて、経営者は自信を持って未来への成長の舵取りを行うことができます。
多忙なリーダーのための、明日からできる実践的学習法
経営の4つの幹を学ぶ必要性は分かっても、「大学院(MBA)に通うような時間はない」というのが多くの経営者の本音でしょう。しかし、学びは机に向かうだけがすべてではありません。日々の仕事や生活の中に、学びを組み込むことは可能です。ここでは、多忙なリーダーでも明日から実践できる5つの学習法を提案します。
方法1:インプットの質を変える「知のキュレーション」
現代は情報過多の時代です。SNSやニュースサイトをだらだらと眺めているだけでは、貴重な時間が溶けていくだけで、体系的な知は身につきません。大切なのは、インプットの「量」ではなく「質」です。
闇雲に情報を追うのではなく、自分にとって本当に必要な良質な情報源を意図的に「キュレーション」(厳選)しましょう。
たとえば、「流行りのビジネス書を10冊乱読する」よりも、「経営の名著を年に数冊、深く読み込む」ほうが、はるかに経営の土台は強固になります。また、信頼できる経営者仲間が推薦する本だけを読む、業界のトップランナーが発信するニュースレターやポッドキャストを通勤中に聴くなど、自分なりの「質の高い知の仕入れルート」を確立することが重要です。
方法2:思考を深める「対話と壁打ち」
インプットした知識は、アウトプットし、他者からのフィードバックを受けることで初めて定着し、深まります。学びは決して一人では完結しません。
社外の経営者仲間との勉強会、京都ならではの異業種交流会、あるいは信頼できるメンターや顧問との定期的な対話は、自分の考えを客観視し、新たな視点を得る絶好の機会です。
「今、こんな課題を抱えているのだが、どう思うか」「新しく学んだこの理論を、自社にどう応用できるだろうか」。このように、自分の考えを率直にアウトプットし、相手から率直な意見をもらう「壁打ち」を習慣にしましょう。他者という鏡に映すことで、自分の思考の癖や、一人では思いもよらなかった解決策に気づけます。
方法3:歴史と哲学に学ぶ「大局観」
目先の経営課題や最新のビジネストレンドを追うことも重要ですが、それだけでは短期的な視点に陥りがちです。真のリーダーには、物事を長期的・多角的・根本的にとらえる「大局観」が求められます。
この大局観を養う最良の教科書が、「歴史」と「哲学」(リベラルアーツ)です。
たとえば、京都という街がなぜ1000年以上も都であり続け、多くの老舗企業が今なお世界的な競争力を持ち続けているのか。その歴史的背景や、禅の思想に代表される精神文化を学ぶことは、サステナビリティ(持続可能性)の本質を理解するうえで大きなヒントとなります。
また、世界史において激動の時代を乗り越えたリーダーたちが、どのような葛藤の中で、どのような決断を下したのかを知ることは、現代の私たちに勇気と示唆を与えてくれます。歴史と哲学の中にこそ、経営の普遍的なヒントが眠っているのです。
方法4:他社から学ぶ「ベンチマーキング」
本やセミナーで学ぶ知識を「生きた学び」に変える最も効果的な方法の一つが、優れた他社の現場に足を運ぶことです。いわゆる「ベンチマーキング」ですが、単なる視察で終わらせてはいけません。
「なぜ、あの会社の工場はあんなに生産性が高いのか」「なぜ、あの店舗のスタッフはあんなに活き活きと働いているのか」。自社との違いはどこにあるのか、仮説を持って現場の空気を感じ、社員の細かな動きやオペレーションを観察します。
可能であれば、現場の責任者や担当者と直接対話し、その仕組みの裏にある思想や苦労話を聞き出しましょう。とくに京都には、独自の哲学を持って世界に冠たる地位を築いた優良企業が数多く存在します。そうした企業の現場から学ぶことは、どんな経営書を読むよりも強烈な気づきを与えてくれるはずです。
方法5:実践と内省「小さな実験と振り返り」
学習法の中で最も重要でありながら、最も実行が難しいのがこのステップです。学んだことを「知っている」「分かったつもり」で終わらせず、自社で実践してみることです。
とはいえ、いきなり全社的な大改革を行う必要はありません。まずは「小さな実験」として、特定の部門や期間を限定して試してみるのです。たとえば、「新しいマーケティング手法を、まずはA製品のWeb広告で試してみよう」「組織論で学んだ1on1ミーティングを、まずは自分の直属の部下3人と週に一度始めてみよう」といった具合です。
そして、その実験結果がどうだったかを、必ず「振り返る(内省する)」時間を作ります。「思ったより上手くいったな。なぜだろう」「まったく効果が出なかった。仮説のどこが間違っていたのだろうか」。この「実践 → 内省」のサイクルこそが、外部から得た知識を、自社固有のノウハウ、すなわち本当の「知恵」に変える唯一の方法なのです。
経営の勉強に関するQ&A
Q1. 経営者ではないのですが、何を学ぶべきですか?
A1. あなたが経営幹部や管理職ではなく、たとえば営業、技術、企画といった特定の分野の専門職であるならば、まずはそのご自身の専門分野を誰にも負けないレベルまで徹底的に深めることが最優先です。中途半端に経営のすべてを学ぼうとするよりも、まずは「この分野なら社内で右に出る者はいない」という圧倒的な専門性を築くことが、リーダーへの第一歩となります。
そのうえで、本記事で挙げた4つの必須科目(戦略・マーケ・ヒト・カネ)を少しずつ学び始めましょう。特に重要なのは、「自分の専門的な仕事が、会社全体の経営戦略の中でどのように位置づけられているか」を理解することです。「なぜ今、会社はこの製品の開発に注力しているのか(戦略)」「この技術は、どの顧客のどんな課題を解決するのか(マーケティング)」「このプロジェクトを成功させるには、どんなチームが必要か(ヒト・組織)」。この視点を持つことで、あなたの仕事の質は格段に上がり、経営層からの信頼も厚くなるでしょう。
Q2. MBA(経営学修士)は取得すべきでしょうか?
A2. MBAプログラムは、経営の4分野(戦略、マーケ、ヒト、カネ)を短期間で体系的に学べること、および優秀で志の高いネットワーク(人脈)を得られるという点で、きわめて大きなメリットがあります。思考体力や論理的思考力も徹底的に鍛えられるでしょう。
一方で、当然ながら多額の費用と、膨大な時間(通常2年間)のコミットメントが必要です。とくに事業承継を控えた経営者や、すでに第一線で活躍されているエグゼクティブにとっては、自社の事業から長期間離れることのリスクも慎重に考慮すべきです。
決断する前に、まずは国内のビジネススクールが提供している単科で受講できるプログラムや、週末だけの短期集中講座(エグゼクティブ向けセミナーなど)に参加し、そのスタイルが自分に本当に合うか試してみるのも良いでしょう。「何を学ぶか」と同時に「どう学ぶか」が自分に合っているかを見極めることが重要です。
Q3. どんな本を読むといいでしょうか?
A3. もちろん、最新のベストセラーとなっているノウハウ本も、トレンドをつかむうえで有効です。しかし、多忙なリーダーにまずお勧めしたいのは、小手先のテクニックではなく、時代を超えて読み継がれる書籍や、経営哲学の「古典」に触れることです。
たとえば、マネジメントの父と呼ばれるピーター・ドラッカーの『経営者の条件』や『現代の経営』。あるいは、京都を代表する経営者であり、フィロソフィーを説いた稲盛和夫氏の『生き方』や『京セラフィロソフィ』。これらの古典は、特定の時代にしか通用しないハウツーではなく、「働くとは何か」「企業の社会的責任とは何か」「リーダーはどうあるべきか」といった、経営の根本にある普遍的な原理原則を問いかけてきます。
変化の激しい時代だからこそ、こうした揺るぎない「土台」となる思想を学ぶことが、あらゆる意思決定のブレない軸となります。
最高の経営の教科書は、「自社そのもの」である
変化の時代を乗りこなし、自らの思考の癖から脱却するためには、学び続ける姿勢が何よりも重要です。まずは「戦略・マーケティング・ヒト・カネ」という経営の幹となる知識を体系的に理解し、それを多忙な日常の中でも「インプット・対話・歴史・他社・実践」という5つの方法で学び続けることが、現実的な打ち手となるでしょう。
いろいろな学びの方法論を紹介しましたが、最終的に経営者が向き合うべき最高の教科書は、他の誰でもない「あなたの会社そのもの」です。外部から学んだ知識を試すことができる最高の実験場は、自社というフィールドに他なりません。
本やセミナーで学び、自問し、仲間と対話し、そして自社で勇気を持って実践してみる。その結果から謙虚に反省し、また次の学びへとつなげていく。この地道な学習サイクルを、情熱を持って回し続けること。それこそが、あなたとあなたの会社を、次の50年、そして100年へと導く、最も力強い成長エンジンとなるはずです。