スポーツコミュニケーションKYOTO、松島社長

15人にも満たない組織からスタートし、わずか2年で売り上げを2.4倍、集客を4倍にまで引き上げる。そんな驚異的な成長を遂げているのが、Bリーグ(プロバスケットボールリーグ)のトップB1に所属する京都ハンナリーズだ。

そのチームを運営するスポーツコミュニケーションKYOTOの代表・松島鴻太氏は、ラグビー界からビジネス界へと転身し、31歳というB1最年少の若さで代表に就任した異色のリーダーである。

強豪・東海大仰星高校でキャプテン、東海大学では副キャプテン、トップリーグの舞台でも組織をけん引した経験は、今、スポーツビジネスの現場でどのように昇華されているのか。急転直下の社長就任から始まった組織改革、そして急成長に導いた泥臭い「地上戦」、さらに2028年の新アリーナ竣工を見据えた壮大なビジョンについて、その熱き想いを余すところなく語ってもらった。

松島鴻太(まつしま・こうた)──スポーツコミュニケーションKYOTO代表取締役社長
1991年、京都府生まれ。高校ラグビーの名門・東海大仰星で主将、東海大学で副主将を務め、トップリーグのコカコーラレッドスパークスなどでプレー。引退後、家業である株式会社マツシマホールディングスを経て、2022年にスポーツコミュニケーションKYOTO株式会社(京都ハンナリーズ)代表取締役社長に就任。

31歳のB1最年少社長はラグビー界からの異例の転身

── 松島さんは2022年、31歳という若さで京都ハンナリーズの運営企業の代表に就任されました。就任に至るまでの経緯と、当時の心境からお聞かせください。

松島(以下、敬称略) 正直に申し上げると、青天の霹靂でした。もともと実家の家業(マツシマホールディングス)がハンナリーズの株を一部取得しまして、当初は別の代表がいらっしゃったんです。しかし、その方が急遽退任されることになり、兄(家業の社長)から「お前がやれ」と。

トップリーグ時代
トップリーグ時代の松島代表(写真提供=京都ハンナリーズ)

ラグビーを引退してからは家業のほうで働いていましたが、スポーツクラブの経営なんてまったく経験がありませんでした。でも、兄が下した決断を失敗させるわけにはいかないし、何より、やるからにはこのチャンスを活かして、京都のスポーツ界に新しい歴史を作りたい。そう自分の中でスイッチを切り替えてのスタートでした。

── 経験のない中で、就任直後にまず取り組んだことは何でしたか。

松島 まず着手したのは、プロスポーツクラブとしての「存在意義」を明確にすることです。私が入った当時のハンナリーズは、従業員がわずか12人。B1の中でも非常に小さな組織で、一人ひとりが目の前の業務に忙殺されていました。

「自分たちは何のために存在しているのか」「誰のために戦っているのか」という根本的な哲学を見失っているように感じたんです。そこで、理念とビジョンを徹底的に立て直しました。オーナーのためだけではなく、ファンや地域の皆さんと共に成長することで、京都という街を活性化させていく。それがプロスポーツクラブの使命であると、改めて言葉にしました。

── ラグビーでのリーダー経験は、その後の経営にどう活かされましたか。

松島 ラグビーでは中学、高校でキャプテン、大学で副キャプテンを務めてきました。組織に熱量を伝播させ、全員で同じ方向を向いて進んでいくというプロセスにおいては、経営もラグビーも本質は変わりません。

自分は戦術の専門家であるヘッドコーチではありませんが、一人の「リーダー」として、組織に情熱を注ぎ、仲間を信じて巻き込んでいく。その役割をまっとうすることだけを考えました。

「地上戦」がもたらした驚異的な成長。売上2.4倍、集客4倍の舞台裏

── クラブは、Bリーグの新トップカテゴリーである「Bプレミア」に参入するため、その条件である売上12億円超え、平均集客4,000人以上、5,000席以上のアリーナ確保という高い目標に挑みました。

松島 当時は売上5億円、平均集客も約1,000人で、そこから2年間で条件をクリアしなければいけない、という状況に立たされました。とんでもない目標です。

そこで私はまず、泥臭い「地上戦」を徹底しました 。昨今のビジネスではデジタルを駆使した「空中戦」が注目されがちですが、我々のような地域に根ざしたクラブにとって最も重要なのは、顔と顔を合わせる対面での繋がりです。とにかく目標を達成するために、大きく3つの戦略を実行しました。

1. スポンサー営業の圧倒的な量と質の転換

まず一つ目は、営業を「正攻法の一丁目一番地」と捉えて徹底的に回ったことです 。オーナー変更に伴い約40社が離脱するという厳しい状況でしたが、そこから2年間で約180社を新規に増やし、合計で約300社ほどにまで拡大させました。

私自身も毎日4〜5件のアポイントを入れ、経営者の皆さんに直接ハンナリーズのビジョンを伝えて回りました。最初は熱量だけで勝負しているような部分もありましたが、徐々に「君を応援してあげるわ」という輪が広がっていったんです。

2. 特典チケットの「消化率」への執着

二つ目は、スポンサー様にお渡ししているチケットを、形だけのものにせず「徹底的に使い切ってもらう」ことです。私が来る前は、せっかくのチケットがほとんど使われていない状態でした。

それを営業メンバーと共に、企業の現場まで足を運んで「ぜひ見に来てください」と働きかけました。実際にバスケットボールの迫力を体感してもらい、感動を共有してもらう。その結果、消化率は2年で70%程度まで向上し、それが今の満員の光景に直結しています。

3. 年間300回を超える社会貢献活動の「土壌作り」

三つ目は、地域との接点を劇的に増やしたことです。以前は年間30回程度だった活動を、2年間で300回以上にまで増やしました 。清掃活動や小学校への訪問など、地道な活動を京都のどこかで常に行っている状況を作りました。

これは短期的な数字にはつながりませんが、ハンナリーズに対するポジティブな印象を育てる「土壌作り」です。応援してもらうためには、まず自分たちが地域にギブ(貢献)し続けること。この人間関係の基本を徹底しました。

── デジタルではなく、あえてアナログな手法を重視されたのには何か理由があるのでしょうか。

松島 実は、私が来る前にデジタルマーケティングに注力して失敗した経験があったんです。コロナ禍ということもありましたが、土台がないところでの空中戦は響かない。まずは地に足をつけた人間関係の構築、つまり土壌作りが必要だと確信していました。その土壌ができた今、ようやく空中戦も並行して進めているフェーズです。

“三方よし”を体現する、京都ならではの社会貢献活動

── 年間300回以上という社会貢献活動の回数には驚かされますが、京都の企業と連携したユニークな事例はありますか。

松島 最も手ごたえを感じているのが「ASOBI」ビールとのコラボレーションです。天橋立にある「ローカルフラッグ」さんという、若いリーダーが経営するビール会社とコラボしました。

「ASOBI」ビール
ASOBIビールとのコラボ缶(画像提供=京都ハンナリーズ)

彼らは天橋立の海を汚染するカキ殻を回収し、それを活用したビールを作っています。つまり、このビールを飲めば飲むほど京都の海が綺麗になる。この「社会貢献を楽しみながらスポーツを観戦する」という皆さんに喜んでもらえるスキームによって大きな共感を得ることができました。今では大手スーパーや上場企業とのコラボにも発展し、ハンナリーズがハブとなって、京都の企業同士が新しい繋がりを持つきっかけにもなっています。

また、教育委員会と連携した「ボール寄贈プログラム」も重要視しています。京都の学校を回ると、バスケットボールがツルツルでボロボロの状態で使われているケースが多いんです。これでは上達もしないし、何より楽しくない。

そこで、地元の企業様に協賛いただき、我々が新しいボールを学校に寄贈する。寄贈式には教育委員会の方や企業の方にも同席いただき、感謝状が贈られる。これも売り手、買い手、世間の“三方よし”の取り組みです。

「エゴ」を捨て、組織の未来にコミットする

── 急激な改革を進める中で、組織内の軋轢などはなかったのでしょうか。

松島 ありました。私が就任して理念を刷新し、高い目標を掲げた直後、社員の約半分にあたる6名が辞めました。12人のうちの6人ですからかなりの衝撃です。そうした反発がありながらも、私は「エゴを出すな」と言い続けました。「自分のやりたいこと」よりも「組織として成し遂げるべきこと」を優先できる人間でなければ、このスピード感にはついてこれないと思いましたし、そこは妥協しませんでした。

── その後、組織はどう変わっていったのですか。

松島 スポーツクラブなどの経験の有無よりも、ビジョンへの共感を重視して採用を行い、「京都という街が好きだ」「ハンナリーズで京都を変えたい」という強い志を持ったメンバーが集まってくれました。

現在は35人の体制になりましたが、今のチームは本当に素晴らしいと思っています。中には銀行出身者や、全くの異業種から飛び込んできた熱意ある若手もいます。私が何も言わなくても、自律的に動き、目標達成のために汗を流せる組織へと進化しました。今では、私が明日いなくなっても、ハンナリーズは回り続けるだろうという自信があります。

また今後はより良い労働環境を作っていきたいと考えています。スポーツクラブが「やりがい搾取」という風習が今も少なからず残っていると思います。この状況を変え、スポーツの持つエモーショナルな魅力に加えて、待遇面やワークバランスも整った環境を作っていきたいと思っています。

── 松島さんにとって、理想のリーダー像とはどのようなものですか。

松島 「正直であること」そして「ワクワクさせる存在であること」です。父も経営者なのですが、父は常に周りの人をワクワクさせ、夢を見させてくれるような人間味のあるリーダーでした。

私も、小難しい戦略を並べるより、「この人と一緒にいたら面白いことが起きそうだ」と思ってもらえるよう、素直に自分の想いを言葉にするようにしています。恥ずかしいことも、高い目標も、隠さず口に出す。それがリーダーの責任であり、熱量を周囲に伝播させる一番の方法だと思っています。

2028年、新アリーナが京都の景色を変える

── 2028年には向日市に9,000人収容の新しいアリーナが竣工予定です。アリーナがもたらす未来、そして松島さんが描くハンナリーズの目標について教えてください。

松島 2028年の新アリーナは、単なる試合会場ではありません。隣にある京都府のオーバーツーリズムという課題に対し、人の流れを分散させる新たな文化の拠点にもなると確信しています。

新スタジアム
新アリーナの内観イメージ(プロスポーツ利用時)(画像提供=京都府)
スタジアムイメージ図
新アリーナの外観イメージ(画像提供=京都府)

京都には神社仏閣、伝統文化、食といった素晴らしいコンテンツが詰まっています。そこに、プロスポーツという現代の熱狂が加わる。歴史に依存するだけでなく、新しい歴史を作る場所が必要です。新アリーナを「ハンナリーズがあるから京都に住みたい」と思ってもらえるような、幸せを象徴する場所にしたいと思っています。

── 2030年に向けて、具体的な数字としての目標はありますか。

松島 売り上げ30億円という数字を掲げています。これは夢物語ではありません。B1のトップクラブはすでに40億、50億という規模に達しています。アリーナが満席になり、スポンサー様とのWin-Winな関係が深化していけば、必ず到達できる数字です。

そしてチームとしては、常に優勝争いに絡む「日本一のクラブ」であり続けること。勝利は不確定要素ですが、勝てる確率を最大化させるための投資と努力は惜しみません。