早稲田大学での研究や大手エンジニアリング会社での経験を経て、2013年にイーセップ株式会社を創業した澤村健一氏。同社は、ナノレベルで精密に細孔径を制御した「ナノセラミック分離膜」技術をコアに、化学産業における巨大なエネルギー消費プロセスである「分離」に革新を起こそうとしている。
長らく変化の少なかった保守的な化学・石油業界において、なぜ自らスタートアップを立ち上げる決断をしたのか。資金も人材もない「ゼロ」からのスタートや、ディープテック最大の壁である「量産化」への挑戦、そして京都という地の利を活かした産学連携の取り組みまで。
簡易でエコな分離技術を通じて、カーボンニュートラル社会の実現を目指すイーセップの挑戦とは。
「文句を言っている暇があるなら、自分でやるしかない」
── イーセップ創業までの経緯について教えてください。
澤村氏(以下、敬称略) もともと応用化学や分離膜技術などのアカデミックな研究を深めていく中で、どれだけ素晴らしい技術があっても、それが社会実装されなければ本当の意味で役に立たないと痛感するようになりました。
私たちがターゲットとする化学や石油産業の業界は、約40年もの間、基本的なプロセスが変わっていません。新しい論文や特許は世界中でたくさん発表されているのに、それが実際の製造現場に導入されることは極めて稀でした。これを自分自身の力で事業化したいと強く考えるようになったのが、2010年前後のことです。
── 大手企業の中で事業化を目指す道もあったのではないですか?
澤村 最初は、規模の大きなエンジニアリング会社などに所属して事業化を進めるという選択肢も考えました。
しかし、化学業界は非常に保守的で「実績重視」の世界です。どんなに画期的な新技術があっても、「まだ実績がないから使えない」とはねのけられてしまう。結局のところ、実績を作るには自分で会社を立ち上げて作るしかないという結論に至りました。
また、大企業になると、例えば1億円以下の規模の小さな案件などは採算が合わないという理由で誰もやりたがりません。世の中には膜を使った分離案件のニーズがあっても、規模が小さすぎて大企業では相手にされないのです。
それならば、フットワークの軽いベンチャーやスタートアップと連携して進めようと思いましたが、都合よく協力してくれる企業も見当たらなかった。「文句を言っている暇があるなら、自分でやるしかない」と腹をくくりました。
── 創業当初は苦労も多かったのでは。
澤村 起業の壁としてよく「ヒト・モノ・カネ」が挙げられますが、本当にすべてが「無い」状態からのスタートでした。お金がないから人を雇えないなど、やらないための言い訳を探そうと思えばいくらでもできる状況です。
当時、シリコンバレーのようなスタートアップが育つイノベーションエコシステムは、日本、特に関西にはまだ十分に根付いていませんでした。大学の先生が自らビジネスの世界へ飛び込み、起業するケースも非常に少なかったですね。
また、私は根っからの理系出身で、ビジネスや経営の勉強を本格的にしてきませんでした。経営については本を読んだり、日々の実践の中で手探りで学んでいくしかありませんでした。
よくMBAに留学して知識をつけて帰ってくる方がいますが、実践する場がなければその知識は活きません。いきなり大きな新規事業を任されて失敗するよりも、小さな責任を持たせて泥臭い経験を積ませることが、事業を育てる上で何より大事だと実感しています。
熱で分ける蒸留から、膜で分ける時代へ。化学プラントの省エネ化
── イーセップのコア技術である「ナノセラミック分離膜」について教えてください。
澤村 世の中で一般的に水処理などに使われている分離膜は、高分子、つまりプラスチックでできています。
しかし、化学品工場では高温の熱や強力な溶剤を日常的に扱うため、プラスチックの膜では溶けてしまって全く使い物になりません。そこで、熱や溶剤に強い「セラミック」を使った特殊な膜が必要になるのです。
私たちが開発しているのは、ゼオライト膜やシリカ膜を中心とした、1ナノ(10億分の1メートル)以下の細孔を精密に制御したセラミック製の機能性分離膜です。これによって、単に水と薬品を分けるだけでなく、薬品同士を分子の大きさの違いを利用して分離することが可能になります。
── その技術が化学産業にどのような変革をもたらすのでしょうか。
澤村 工場地帯などを見ると、何十メートル、何百メートルという巨大な塔が建っていますよね。現在の化学プラントでは、ほとんどのプロセスにおいて「蒸留」という方法であの巨大な分留塔を用いて薬品を分けています。物質の沸点差を利用して分離するために、温めては冷やし、温めては冷やしという工程を何十段、何百段と繰り返しているのです。
これには莫大なエネルギーが消費され、大量のCO2が排出されます。
もし、この巨大な蒸留プロセスを私たちの「分離膜」に置き換えることができれば、無駄な熱をかける必要がなくなります。さらに、あのような巨大な設備を建てる必要もなくなり、10分の1以下のコンパクトなサイズで処理ができるようになります。
計算上、従来の蒸留方式と比べて約40%ものコスト削減が可能になり、カーボンニュートラル社会に向けたエネルギー・化学分野での革新的なイノベーションだと確信しています。
ディープテックに立ちはだかる「量産の壁」とステージごとの経営課題
── 理論や技術は素晴らしくても、それを産業レベルで実用化するには高いハードルがありそうです。
澤村 おっしゃる通りです。膜で物質を分けるという原理そのものは非常にシンプルですが、1ナノ以下の超精密制御が求められるため、モノづくりとしては極めて難易度が高いのです。
実は、セラミック分離膜の技術自体は20年以上前から存在していましたが、常に「量産化の壁」に阻まれて社会実装が進みませんでした。
研究室レベルで小さなサンプルを100回やって1回成功するようなレベルだったものを、産業用に何百、何千本とスケールアップして量産することができないのです。
これは、コンピュータのチップの進化の歴史とよく似ています。昔は真空管のように大きかったものが、トランジスタ、IC、LSIへと進化していく中で、微細化と集積化のモノづくりは極めて困難でしたよね。化学産業の膜においても、極めて微細な構造を作りながら、それを大きなモジュールへと拡大していくことが技術的に非常に難しかったのです。
── その壁を現在どう乗り越えようとしているのですか。
澤村 現在、そのブレークスルーとなる量産機の構築を急ピッチで進めています。これまでは手作業に近い工程で月に100本程度生産していましたが、それを自動化し、月産1000本以上と一気に10倍以上の生産能力を持つ量産体制を確立するための装置を作っています。
私たちにとって、2026年にこの量産の壁を完全に越えることが「マスト事項」であり、会社の命運を懸けた目標です。
── 組織づくりという面で大変だったことは何ですか?
澤村 会社の成長ステージごとに、経営者としての振る舞いや組織のやり方を大きく変えなければならない点に苦労しました。
現在、私たちの組織は約40人ほどの規模になりました。ディープテックという性質上、3分の1が博士号を持つような高度な技術者、3分の1が管理部門、残りの3分の1が事業開発といった構成になっています。このように専門性の高い多様な人材をまとめる「チームビルディング」は、一朝一夕にはいきません。
創業初期の頃は、ただがむしゃらにやればよかったんです。当時、京都の「ベンチャー企業目利き委員会」という場でお世話になり、堀場製作所の堀場会長や日本電産の永守会長といった錚々たる経営者の方々から「起業は気合と根性がすべてだ」と厳しい意見をいただき、無我夢中で前に進みました。
しかし、会社のステージが上がり、これだけの規模の組織になってくると、個人の気合や根性だけでは限界が来ます。ゼロから1を生み出すフェーズから、1を100に拡大していくフェーズへと移行する中で、仕組み化や権限移譲を進めていかなければなりません。その変化に自分自身が適応し、組織を牽引していくのが、経営者としての大きな挑戦でした。
京都のエコシステムと、オープンイノベーションへの期待
── 京都という地でビジネスを展開するメリットは何だとお考えですか。
澤村 京都は、スタートアップや大学発ベンチャーへの支援が非常に手厚い街です。行政や支援機関によるビジネスマッチングの機会や、補助金などの制度が充実しており、他県と比べても力強いサポート体制が整っていると感じます。
ただ、東京のような巨大な情報と資本が集まるマーケットに比べると、どうしても私たちが発信する情報が埋もれてしまいがちになるという課題もあります。だからこそ、京都ならではの独自性や、研究開発に強い「京都らしさ」を前面に出して、しっかりと差別化していく必要があると考えています。
── その中で、外部の企業や投資家との連携も重要になってきますね。
澤村 はい。ディープテック領域では特に、自社だけで開発から社会実装までのすべてを完結させるのは不可能です。大学の知見を活かした共同研究はもちろん、VCなどからの資金調達においても、何より「信用」が重要になります。
ありがたいことに、私たちの技術やカーボンニュートラルへのビジョンに共感してくださる方々からの強力な支援もあり、量産化に向けた動きを加速できています。今後もオープンイノベーションを通じて、世界を変える仲間を増やしていきたいですね。
社会課題を解決したいなら、やらない理由を探すな
── 今後のイーセップの展望を教えてください。
澤村 まずは何と言っても、先ほど申し上げた「量産の壁」を越えることです。ディープテックスタートアップにおいて、量産化を実現できるかどうかが生き残るための最大のカギとなります。
それを達成した先には、世界の化学産業の「分離」プロセスを私たちのナノセラミック分離膜に置き換え、劇的な省エネ化と脱炭素に貢献するという未来が待っています。水や有機溶剤だけでなく、水素やCO2の分離など、新たな領域での応用も進め、カーボンニュートラル社会の実現を力強くけん引していきたいです。
── 最後に、これから起業を志す若い世代へメッセージをお願いします。
澤村 私が起業した10年以上前と比べて、今はエコシステムも整い、スタートアップを支援する環境が格段に良くなっています。 新しいことに挑戦して、もし失敗したとしても、人生において失うものは皆さんが思っているほど多くありません。
だからこそ、「お金がない」「実績がない」とやらない理由を探すのではなく、まずは勇気を持って一歩を踏み出してほしい。 「社会の課題を解決したい」という強い信念があれば、必ず支援してくれる人が現れ、道は開けます。私たちイーセップも、若い世代にその背中を見せられるよう、京都から世界へ向けて挑戦を続けていきます。